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2021年10月23日21:30

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母介助日記10月23日(土)朝分

昨夜の寝付きは二時半、八時半起床で六時間睡眠。
夜十時頃、階下の母を見に行くと、トイレにウンチまみれのパンツが。ベッドに座っていた母の横にあった股引と合わせて、浴室で洗浄し付け置き洗い。この時、水道直結で水圧が強力になったシャワーを最強で使ったが、洗浄も一発、桶に入れて洗剤を掛けての付け置き洗い始めもすごい泡立ち。給湯器交換のメリットは意外なところで大きかった。
母に新しいパンツを履いたかと尋ねたら、履いたと言っていたが、今朝確認すると履いてないと。直接、ズボンに粗相をされるとズボンを洗浄して洗濯屋に出すことになるので、パンツを履かせる。この時、股引も履かせるべきだったが失念、股引は夜パジャマに着替える時に履かせよう。
九時から洗濯機を回して朝食の支度。
十時、母朝食開始。
その間に物干し、仏壇セット、ベッドメイク。
朝食後、降圧剤、整腸剤、甘い物配給。
ベルト式マッサージ器をさせて十一時半、血圧測定、133/82。体温、36.1度。酸素飽和度、96。
ケーブルテレビ局で隣町の保育園の運動会を放映。私は朝食をとりながら眺め、母はマッサージ器をしながら見ていた。
老身の介護介助の生活が長くなりまだまだ続く。社会復帰はいつになるか、まともにできるか分からないが、日々の多忙に追われて不安などより、人生の意味や目的についての体感と体得が積み重なっているように思う。仕事だけが人生でも暮らしでもない。そこは言葉にはできない諸々が心身そして魂に働きかけてくる世界だ。
運動会で芝生グラウンドでかけっこしている保育園児たちから、パンツを履いてないことを言われると「二階にあるからもって来い」(母の下着は洗濯物を取り入れたダイニングスペースの棹にハンガーに並べて吊るしていて、母は日に幾度もその前を通ったりそれをくぐったりしている)と訳のわからない指図をしだす認知症の老母に至る人生は、人それぞれの歩みがあるようでいて、生まれて老いて死ぬという点、本質的には魂の営みであるという点では一致している。
魂の営みをどう捉えるか、あるいは振り返るかは、言葉で表して云々する類いのことでも、他者と比較して云々する類いのことでもないように思う。
きっと、私は私なりの魂の暮らしをし、母は母なりの魂の人生を終えて行くのだろう。
十二時、母とラジオ体操をして、母に自動ペダル運動をさせて、清々しい晴天なので外仕事。道路沿いのツツジ垣根の天端を剪定し枝葉を中庭側に落とす作業。
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