『主体性について』
細かな事が気になる性格だと、
ちょっとした間違いに激しく落ち込みます。
そして、落ち込むことを避けるために、
出来るだけ間違わないように、
周りの人に頼る、という事をしがちです。
自分で判断せず、
周りの人に判断をしてもらうのです。
私の場合、それに加えて、
のろまという事もあり、
判断の早い人に決定権を委ねる、
ということが多くなります。
あれが欲しい、これが欲しいという、
自己主張をするのが苦手で、
余り物で満足する、という事が、
得意になりました。
争いやもめごとが起こらない様に、
賢く立ち回って来た、
という言い方もできるかもしれません。
しかし、そのような生き方をしてきた故に、
自分自身の見解を持つとか、
自分の判断に責任を持つという事が、
とても苦手になりました。
この事が、生活の中で、
大きな影響を与えていると、
この頃思います。
つまらないとか、楽しくないと思うなら、
自分で楽しみを見つければいいのですが、
判断や決定権を誰かに委ね続けた結果、
つまらなさを、いつの間にか、
誰かのせいにしてしまうのです。
その癖、人を批判する事には罪悪感を持ち、
思いの表現の仕方が分からず、
簡単に、不機嫌になってしまいます。
なので、主体性を意識するという事は、
私にとって大切だと、この頃思います。
正しいか、正しくないか、という事よりも、
自分の見解を持ち、
それをはっきり言葉にする事で、
地に足をつけて考えることが出来ます。
そして、周りの状況に左右されず、
自分なりの知恵で、
今現在を楽しむことが出来ます。
神様を信じるという事について、
ある人はそれを、
弱い人間が依存的になるという、
いわゆる神頼み、という理解をします。
しかし、神様を信じるとは、
世の中の価値観に捉われないという、
とても地に足のついた、
主体的な考え方の基盤となります。
真実に主体的になるために、
信じられるものがある事は、強みです。
いつも読んで下さり、
ありがとうございます。
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