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2021年10月08日17:03

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ええなあ恵那の旅 その15

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 旅館の手前に、
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細い道が横に分かれています。
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実はこちらこそが旧中山道だったそうで、つまりここは3つめの桝形という事になります。
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という訳で道を曲がって進んでいくと神社に突き当たりました、昔はメインストリートだったのですから参拝者も多かったのでしょう。
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ここで道はまた直角に折れ曲がっています、4つめの桝形ですね。
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これはまた古そうで、2階が1階よりも張り出している独特の建物ですなあ。
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この辺りでも、隣が駐車場になった事で間口が狭く奥行きの長い町割りが露わになっている家が見られました。
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そして丸型の郵便ポストが立っているところで、
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道は5つめの桝形となっています。
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旅館のところから桝形を右折→左折→左折と曲がってきているので、方角的には来た方へ戻っている様な形になります。
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やがて変則的な丁字路に突き当たりました。3つめの桝形を曲がらずに直進していれば、画像の左側から出てくるという位置関係になります。
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で、ここが最後となる6つめの桝形です。
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曲がるとすぐに阿木川が流れていて、
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それを旧中山道は大井橋で渡ります。
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橋の上から眺めた上流側、
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3日目に訪れた明知鉄道の鉄橋が架かっているのはこの先です。
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こちらは下流側の眺め、
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この先は2日目に訪れた大井ダムのすぐ下で木曽川へと合流しています。
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下流側の右岸には大きな榎の木が生えています。
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街道好きなら榎と言えば一里塚を連想しますが、これは一里塚ではなく、巳之助という泥棒(義賊)が縛りつけられて石責めの刑を受け息絶えたという謂れの伝わる木だとか。
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よく見ると根元に祠がありますね。巳之助の死後に阿木川が氾濫を繰り返したので祟りと怖れられ、祠を建てて祀ったところ水害も減ったそうですよ。
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お、ちょうど明知鉄道の列車が下流の橋を渡っていきます、朱色の車体が映えますね!
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橋を渡ると道幅が狭くなりました、
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路面にはこんなタイルが埋め込まれています。
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道の両側には、保存された旧家などとはまた違った魅力のある、古そうな建物が並んでいます。
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間口が狭く奥行きの長い町割りに合わせて増築を繰り返したのであろう建物たち、先ほどから何軒も見かけていますが旧街道らしさが感じられて好きなのですよ♪
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少し先で広い道路と交差しています。
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この道は駅前から伸びている道路ですね、予定している旧中山道歩きの中間地点といったところでしょうか。

つづく・・・
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