名は知れど一度も参詣したことが無かった池上本門寺。
川端龍子記念館を訪ねた折、西馬込に歩くとその先に当寺があることが分かった。
よく晴れた日、千葉の中山法華経寺を散策していて、ふと、同門の池上本門寺に行こうと思いついた。浅草橋から都営浅草線に乗る。
都営浅草線は西馬込と押上を結び日本橋、新橋、芝大門を通る江戸下町路線。
両端には江戸屈指の大寺、浅草寺と池上本門寺。
西馬込駅から第二京浜を川崎方面に歩いていたら、突然、崖が現れた。
池上本門寺入口かと思ったら、「大田区立池上梅園」の案内板。
季節は残暑厳しい九月。
早春の梅園はさぞ麗しい眺めだろうと想像できる。
ネット画像で納得。
(春の梅園ネット借用画像)
池上梅園は丘陵斜面を利用した区立公園ですが、なんか既視感があると思ったら、佐伯山緑地も丘陵でした。大田区の特色なのかな…
池上梅園は戦前まで、日本画家の伊東深水の自宅兼アトリエだったそうです。戦災で焼失し、その後料亭経営者の邸宅となり、所有者の没後、東京都に譲渡され、1978年に大田区立池上梅園として開園。
伊東深水(いとう しんすい)1898年(明治31年)〜1972年(昭和47年)
と娘の女優・歌手 朝丘雪路(あさおか ゆきじ)1935年〜2018年
伊東深水 「夢多き頃」1952年(昭和27年)
ユニークな、制服の女学生群像。
小津安二郎監督のカラー映像作品を想わせる。
ここから山門までがわりと長かった。
旧国宝だった仁王門などは、終戦の数ヶ月前の空襲で焼失。
川端龍子の庭に落ちた焼夷弾と同じだろう。
空襲で焼失の難を逃れたのは、総門、五重塔、経堂、多宝塔だそうです。
総門 扁額「本門寺」は本阿弥光悦筆
五重塔 1608年 国指定重要文化財 31.8メートル
徳川秀忠の乳母 岡部局の発願により建立
多宝塔 1828年 国指定重要文化財 法華らしい絢爛さ
仁王門、本堂、本殿(仁王像のモデルはアントニオ猪木氏)などコンクリート造りで再建され、境内にはどうしてもスノッブな「金のニオイ」が漂っている。
本殿隣の会館の裏に非公開の名園があるらしい。
ネットの写真をみるとなるほど見事だ。
会館にある「人形町今半」で食事をするとガラス越しに一部が見られるらしいが…
見事な船石と配列
松濤園 13世紀 伝小堀遠州作庭
非公開
伝法院庭園とともに公開の機会があれば是非とも訪ねたい。
池上本門寺の前に訪ねた、中山法華経寺は千葉県市川市・JR総武線下総中山駅にあります。
中山法華経寺は、日蓮が最初に教場を開いた大本山。池上本門寺は、日蓮が入滅した大本山です。
中山法華経寺の規模は池上本門寺の五分の一程度だと思いますが、戦災を免れたため、鎌倉・室町の文化財が残っています。
参道には、蕎麦屋さん、寿司屋さんが並んでいます。
今日は気になっていた中華屋さんへ。
中華料理「忠実堂」。
ネーミングと佇まいが気になっていました。
店内は蕎麦屋のようにサッパリしてます。
「お料理をお出しするのに30分程かかりますが、よろしいですか?」と、「だいじょうぶです」と答える。
忠実な感じが…
あさり煮込みそば 930円
正解でした。
鶏ガラベースの白湯スープにアサリと麺を軽く煮込んでいて、濃すぎない上品な旨味。ふっくらしたアサリは上等。スープを飲み干しても少しも胃に持たれません。
メニュー
参道の「黒門」を抜けると堂々たる山門が現れた。
中山法華経寺 仁王門 大正時代再建
仁王門「正中山」の扁額は本阿弥光悦
光悦の扁額は三枚
法華堂扁額「妙法花経寺」
祖師堂扁額「祖師堂」
中山法華経寺 「祖師堂」江戸中期1678年 国指定重要文化財
中山法華経寺 「法華堂」室町時代1359年 国指定重要文化財
中山法華経寺 「五重塔」30メートル 江戸初期1622年 国指定重要文化財
高さは池上本門寺の五重塔とほぼ同じですが、スリムな造りで小ぶりに見えます。
「五重塔」由来
本阿弥家代10代当主・本阿弥光室(1583〜1625年)が両親(妙光(本阿弥光悦の姉)と本阿弥光徳)の菩提を弔うため、加賀前田潘主前田利光公の援助を受けて建立。
中山法華経寺「聖教殿」1931年(昭和6年)
設計者・伊東忠太(1868〜1954年)代表作 築地本願寺、平安神宮など
中山法華経寺の宝物 国宝「立正安国論」国宝「観心本尊抄」鎌倉時代 日蓮 を収蔵
大伽藍が壮麗な池上本門寺(1282年)。
ひっそりとわびた中山法華経寺(1260年)。
ほぼ同時期に創建された二寺の違いがおもしろい。
早春の池上梅園に期待がふくらみました。
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