3時間という長尺を感じさせない映画はそれだけで傑作といえる。
一定のリズムと振幅によって息をするように物語が流れていく。
村上春樹の原作は短編集の中でも印象が薄く、得意の「ミスティフィケーション」でいつも通り物語を去勢する…。
(ミスティフィケーション:神秘化。謎めかして煙に巻く。)
舞台俳優・演出家の家福悠介(西島秀俊)の妻、音(霧島れいか)はニンフォマニア(セックス依存症)の傾向がある。
家福は妻がニンフォマニアになったのは「娘の死」に原因があるという「自分の解釈」がある。しかし、音が複数の男と関係する本当の理由は分からない…無いかもしれない。
ある日、家福は音が自宅で若い俳優の高槻(岡田将生)とセックスしている場面を目撃する。家福は何事も無かったように音に接する。
家福は音と共依存関係にあるため、音が自分を見捨て、離れるのではとの恐怖のため音と正面から向かい合わない。
音は突然、くも膜下出血でこの世を去る。
家福は大切にしている愛車の運転をドライバーのみさき(三浦透子)に委ねる。
次第にみさきに心を開いていく。
家福と高槻がバーでグラスをかたむけ音について語る。
源氏物語の若菜下ならば家福(光源氏)が高槻(柏木)に皮肉の一つも言うべきとき、高槻から逆に共依存関係をつかれる。
高槻が逮捕されたため、代わりに家福がチェーホフの「ワーニャ伯父さん」のワーニャを演じる。
宣伝文句通り最後の20分は素晴らしい。
西島秀俊の素晴らしい演技は、濱口監督の演出の力も大きいと思う。
ソーニャの言葉がワーニャの頑なな心に深く染み、ワーニャは再び生に向かう。
客席のみさきとソーニャが重なる。
村上春樹の「ミスティフィケーション」を濱口監督が再構築して、依存関係をときあかす。
カンヌ国際映画祭で、脚本賞を受賞したことは彗眼ですね。
★★★★✰
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