『弟子を作るという事について』
弟子を作る、という事は、
なかなか大変な事のようにも聞こえます。
師匠が持つ特別な技術に魅力を感じて、
その技術を自分も身につけたいという人が、
弟子になりたいと思うのです。
なので、師匠は、
魅力を感じさせる何かを持っていなければ、
弟子を作る事などできないのです。
聖書の中では、誰かを弟子とする、
という事がしばしば話題となります。
イエス・キリストは弟子たちに対して、
「あなたがたは行って、
あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
という事を、弟子たちに語っています。
キリストの弟子が弟子を作り、
今の時代にまで信仰が受け継がれました。
大切なのは、聖書の情報を伝えるよりも、
弟子を作る、という事なのです。
非常に敷居の高いことのように思えます。
弟子を作るために、人を魅了するような、
どんな能力を身につけたらいいのか、
という事を思ってしまうかもしれません。
そんな能力をこれから本当に、
身につけられるのか、という事も、
思ってしまうかもしれません。
しかし、自分自身が弟子を作るに値する、
という自己認識をするのは、
それ程難しい事ではないかもしれません。
大抵の人は、多かれ少なかれ、
生活の中で辛さを抱えています。
仕事や生活の中で、
誰かとの関わりが大変という人もいます。
何らかの生きづらさとなる要素を、
自分自身の体や心に、
持っている人もいます。
自分自身に大変さを招く要素を、
何らかの形で持ちながら、
それでも明るく元気に生きているという、
誰かの姿は、魅力的です。
大変さの中で、明るく元気に生きる力を、
神様が与えてくれるとして、
その力を基に生きられるのなら、その姿は、
誰かの慰めや励ましとなるのです。
なので、神様から力を頂きながら、
器用でも不器用でも、一生懸命生きるなら、
その姿に共感する人が、弟子になりたいと、
志願してくれるのかもしれません。
何より、師匠となるのは私自身ではなく、
私を通して現されるイエス様なので、
とても気楽です。
いつも読んで下さり、
ありがとうございます。
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