8月8日〜14日まで、エアコンの壊れた自宅から退避し、誰も居ない所に行こうと東北本線で青森へ向いました
在来線車内や新幹線改札口は例年程では無いにせよそこそこ混雑しており、ニュースの「ご覧の通りホームはガラガラです」といった映像は始発時間に撮影された情報操作であると思われます
誰も居ない所に行こうとして途上で三密では本末転倒なので、車内の空力と乗客の状態をよく観察し居所を判断します。
特に状況判断能力の無さそう(でも本人は神をも超える認識力を持ってると自負してる様)なノーマスク半マスクの輩、潰れたカエルみたいな姿勢で手足鞄を投げ出し終始息をゼーハーと切らせてベンチシート3席分を占領してるオッサン達は要注意
という訳で、8月9日、五能線を弘前からスタートです。
車両は全て最新型「GV-E400系気動車」に置き換わっており、旧型は映画「いとみち」が見納めと成りました。
GV-E400系は軍艦で云う「DE」、すなわちディーゼルエンジンで発電し電気モーターで駆動する方式で、複雑で重く騒音大な流体クラッチ&ミッション&駆動ギアは必要ありません。また、ハイブリッドではないので、これまたデッドウエイトに成るリスクのある走行用バッテリーも搭載されていません。一方、運転操作や機器構造、メンテナンス等、多くの部分で電車と共通とするメリットがあります。
映画の舞台の「板柳」駅で、うっかり高見盛の実家でメロンを買おうと降りずに通過します
いとみち
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979703032&owner_id=1602714
板柳
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976655509&owner_id=1602714
車窓から見える日本海が天候の加減でヤバい感じです
「深浦駅」に到着しました。列車のすれ違い交換駅です。
駅出たところで、青函連絡船「八甲田丸」機関長から電話。
今回青森に1週間住む目的の一つが八甲田丸の補修をお手伝いする事だったのですが、コロナ禍対策と台風の影響で急遽中止に。機関長自身も当分船に出勤しない事に。
「可動橋機械室の補修予算申請するから、見立てておいてくれ」と丸投げ指令が
駅前の海からの眺め。
北方向には名物「大岩」が見えます。
南西には深浦港の入口が見えます。
大岩アップ。
「恵比須神社」と大岩。
一見歩道は安全そうに見えますが、危険と判断して海岸には降りませんでした。
さらに向こうに行合崎。
海岸の背後はいきなり断崖の山地が広がります。
この辺りは全て溶岩が海岸までせり出してるような地形です。
断崖を登ります。
深浦駅と、その向こうに深浦港です。
断崖を登ると流出を逃れた段丘堆積物の緩い傾斜の台地に成ってます。
「うらら」号
しばらく台地を内陸方向に進み、海を振り返ったところ。
霊園に戦没者慰霊碑と明治百年記念戦死者慰霊碑がありました。
霊園から南西に向かうと大間越街道に出ました。この辺りは標高があるので海象条件に左右される事無く往来出来ます。
「菅江真澄の道・若狭屋竹越里圭家跡」と真新しい杭が立ってました。
「浄念寺」「宝泉寺」「荘厳寺」が立ち並ぶ参道入口の建物。
軒の陽炎が強烈です。
遊郭でしょうか?
向こうがお寺です。
情報量が余りに濃い建物なので細部写真を撮りまくりです。
屋根神様のちっちゃい版のお札貼るやつが見えますが、何て名前でしたっけ?
南東方向に続く街道を眺めたところ。
実はこの通りは奉行所の小城下町です。
周辺は北海道のオンドル煙突と同じものがある家が多いです。
上が奉行所跡です。
街道はこの先で港に向かって下り坂と成ります。
青森だけに「工藤」さんが多いですね
元来た方向を振り返ったところ。
現在の道は勾配を車の行き来に合わせる為にクネクネとしていますが、元の街道は画面右の痕跡らしき部分を真っ直ぐ下ったと思われます。
そしてカーブミラーに映ってる背後方向の道が奉行所への登城道と成ります。
では、奉行所跡へと向かいます。
両側、味わい深過ぎる民家ばかりで、上の方は空き家が並びます。
汲み取りの蓋とか印度総督が見たら狂喜しそうな感じです
急勾配のクランクを上がると・・・
御仮屋こと弘前藩深浦奉行所「無為館」跡に到着です。
虎口に土塁も残ります。
松林が名物で展望台が設けられてます。
展望台からの眺め
左下が深浦港ですが、木が生い茂り見えません。
勿論、昔は北前船の風待ち港として栄えた深浦(浦は今の港の意味)ですから、奉行所からの港の展望はバッチリだった筈です。
左手の木の向こうの大岩。正面右のアンテナポールの辺りから断崖を登ってきました。
幹の横に見える茂みの向こうが慰霊碑があった霊園です。
藩主が度々巡幸されたので御仮屋なのですが、無為館の名は九代寧親による命名です。
また、北前船「古城丸」が1684年に遭難した際の慰霊碑が船主の東邦海運によって建てられてます。
港からは距離があるものの街道と小城下町はすぐ下で、北前船往来の監視所や砦としての機能は抜群だと思われます
再び街道へ向かって下ります。
街道は断崖をクネクネと下っていき、港が見えてきました。
画面左手台地の上に「日和見城址」。
港の中の「一本杭」。北前船を係留した杭のレプリカです。
しかしここに千石船を本当に係留したんでしょうか。杭の周囲は鋭い岩礁で囲まれており、風向きが変わった瞬間に大変な事態に至るのは想像に難くありません
画面左手崖の向こうの尾根に「元城址(深浦館跡)」があるはず。
漁船「第36はくしん丸」に付いてるクレーンは「底建網漁法」に使用する他、水揚げも自力で行える上、ご覧のように子亀を載せるのにも便利です
この地域は定置網が主力らしく、マグロなど名産の漁が行われてます。
船首の一見バルバスバウ風の形は、シリンドリカルバウの一種で青森〜北海道の漁船によく見られる特徴です。船体の水面付近から下を前方に突き出す事で、打ち上げられた船首波がフレアーに当たって抵抗に成るのを防ぐ燃費改善構造です。考え方としてウェーブピアサーに近く、バルバスバウとは一見似ていて全く違うコンセプトの船形です。
五能線路がすぐ目の前に
トンネルを抜けて弘前行き列車が来ました。
この瞬間は雨粒が写るくらいの豪雨でしたが、天気が良ければ絶好の撮影ポイントに成る筈です
五能線のダイヤは一方向2時間に1本ほど、うち半分は全席指定観光列車「リゾートしらかみ」なので、普通列車を乗り遅れると大変な事に成ります。
五能線トンネルの下は、道路の勾配を緩くする都合で切通しと成ってます。
海岸まで街道が降りると、旧国道と合わさり南へ向かいます。
この辺りが宿場だったようです。
城下町と宿場がそれぞれ利便性で切り離された形ですね。
向こうが現在の国道101号線で、埋め立てられて築かれたのが分かります。
深浦港は天然の良湾で、複数の川が流れ込む谷筋の終着点に成ります。
五能線のガーターが見え、その先は「神明宮」です。
海岸沿いの街道から再び内陸への脇道に入ります。
石川島芝浦機械株式会社トラクター「SD1800」(現IHIアグリテック)。
1975年、18馬力シリーズの最初のモデルですね。
U字機動して再び海の方向に進みます。
画面左手の上に元城址があるはず
左手に深浦港。真ん中の赤屋根が神明宮。
左方向が元城址ですが、この先も藪が続いて入口が全然分かりません
折角ここまで来たのですが、山に分け入るには天候も悪く、城攻略は断念します。
北西に向かって登って下り、再び街道(旧国道)へ。
画面右方向が城址から下って来た道で、東方向を見ています。
反対の西方向。
「山形呉服店」の呉服ダンスの看板が良い味出してます。
呉服店前から元来た西方向を。
ここは大間越街道で、赤いユーノスが見える地点までが旧国道と街道が同一、ユーノスが左手方向に向かいますが、それが旧国道です。
港を拡張し埋め立てごとに海方向に街道が何度も付け替えが行われ、さらに現在の国道101号線が出来て、平行したり交差したり、橋も向きがバラバラでこの辺りは複雑な経路に成ってます。
北前船歴史館「風待ち館」。
勿論、客は誰も居ません。
ロビーには亡くなった”みちのく銀行”頭取から寄贈された「磯船」が有りますが、チラシの置き台にされてて、青森の「北方漁船博物館」の閉鎖の後の酷い扱いを思い出し諸行無常を感じます。
職員が事務所に居る気配はするんですが、出て来ないんで有料展示室はスルーする事に。
「春光山 円覚寺」。薬師堂内厨子や船絵馬などで有名な観光名所ですが、今はむしろ地域史には全く興味が無い御朱印コレクターの人達が訪れるばかりのようです。
強風の為か、幟を立て直しています。
https://www.engakuji.jp/
カーブミラーの上、松が間隔おいて生えてる場所が奉行所跡です。
お寺の脇を登って行くと日和見城址ですが、見た所遺構は見つかりませんでした
北東方向を眺めます。
この辺りと奉行所や霊園の辺りだけ堆積物の緩い傾斜の台地で、他は急峻な流紋岩溶岩の山、平地は海岸にごく僅かで、港は埋め立てで土地を確保しています。
港の西に「弁天島」。波浪が滅茶ヤバイ感じです。
国道まで降りて、元来た駅方向へ戻ります。
隙間ウオッチ。
右の建物の汲み取り部分に注目。
旧漁協。
左端が奉行所跡、右画面外に元城址です。
青いドーム屋根が観光商業施設「海の駅ふかうら 深浦まるごと市場」です。
旧道沿いの「太宰の宿ふかうら文学館」です(内部撮影禁止)
勿論、私以外に来客は居ません。
「秋田屋旅館」を移築、改装転用したもので、中身は太宰治宿泊部屋(窓が開いて灯りが点いてる部屋)以外の実態は全く以って最新の木造建築であり、ガッカリ感満点でした。ただ、太宰以外の文学者詩人の展示もしっかりしており、ビブリオマニアにはたまらない施設だと思います。
昭和初期に流行した丸窓に注目。
旧防波堤を切り欠いて埋立地の深浦まるごと市場と連絡出来るように成ってます。
かつては防波堤が海岸でした。手前が現国道です。
深浦まるごと市場では一旦閉鎖され最近またオープンした食堂でマグロ丼など海鮮が食べられます。
悪天候なのに皆車で押しかけて来ていて、誰も居ない場所巡りが一転、凄い繁盛の中にうっかり入ってしまいました。
https://fukaura-marugoto.com/
買い物はコレ。
最近の農業用トラクターには作業器具は直付けなのですが(車両重量がウエイトとして活かせる為)、本来の「牽引車」と使用してるところを目撃しました
牽かれてるトレーラーは農薬散布車のようです。
真ん中に日和見城址。アンテナポールはNHKと青森放送の深浦ラジオ中継局です。
漁船の保守用に造船所もあります。画面右手外に奉行所跡です。
右手の高みを登って行くと元城址です。
深浦の城跡は湾を取り囲むような配置に成っており、南から北に向かって移っていった事が分かります。
またしばらく101号線を湾に沿ってテクテク駅方向に向かうと、旧国道(旧街道はこの断崖の上)の三連トンネル跡がありました。
トンネルは内側が補強され、おそらく海側に片道車道が増設されて二車線化としたと思われます。
画面左の出っ張りに注目。名物「猿神鼻岩」です。
旧道廃止後、海側がさらに埋め立てられて現国道101号線に成ったと思われます。
こちら側の旧道跡は日本庭園風と「歴史民俗資料館(兼美術館)」が建設されてます。
ゴジラ岩とか各地の名物岩がある一定の角度からだけソレに見えるのに対し、この岩はどこから見てもニホンザルの顔で凄いです。
役所の埋め立て地より。
一瞬、海が凪いでます。
左手に一本杭。右手に弁天島。
さらに進むと、深浦駅の手前で何故か停車中の列車が見えました。
その横にあるのが「食べ物屋 セイリング」
http://park8.wakwak.com/~sailing/
深浦地区では「マグロステーキ丼」という企画がありますが、サクッと無視します
https://www.fukauramaguro.com/
注文したのは「ふかうら雪人参ビーフシチュー」と本日のパスタのランチセット。
これは凄いものを食べました
普通のシチューとは全く違っていながら、やはり王道なシチューなのです。
デミグラスソースが余りにまろやか
明治海軍にこのシチューがあれば、当時の日本人の味覚にも合い、ついては旨煮(現代で云う「肉じゃが」)は必要とされず発明されなかったのではないかと思ってしまいます。
因みにNHK「チコちゃんに叱られる」で事実に基づく肉じゃがの開発秘話と称してドラマ化した話は、実は舞鶴が最近になって町興しの為に創作した作り話であって全くもって嘘偽りです。”所説あります”と注釈して逃れようとしても、フィクションの物語は学説とは言いませんよね。
お店のテレビではBS放送の「エイリアン」がかかっていて、これから食事には適切じゃないシーンだよねってとこでマスターがチャンネル変える
マスターのすぐ背後に観光快速「リゾートしらかみ」が通過します。
店内に蒸気機関車時代の深浦駅周辺の写真が飾られており、よく見せてもらいました。
城攻略に失敗したので、予定より早く深浦駅に戻ってきました。
周辺は空き家の商店が殆どですが、商店を改装したパチンコ屋は絶賛営業中でした。
そういえばマンホールを撮り忘れてます。
駅の時刻表は最新の情報モニター型。
天候は刻一刻と悪化しています。
駅スタンプはコレ。
待ち合わせ室には北前船の模型が飾られてました。
深浦地名の由来は、その名の通り入り江が深かったからで、吹浦、安東浦(安東水軍!)とも呼ばれていたそうです。
深浦始発の列車で戻ります。
沿線の慰霊碑。鉄道線路脇に各地で立ってますね。
これは戦没者か遭難者か分かりませんが、前者ではないかと思います。
おしまい。
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