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2021年06月19日22:45

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笑いの天才

松本人志が、何年かぶりにコント番組を企画し、自ら脚本を書いたコントを演じた。
その番組、僕はたまたま観ていたのだが、その後、「あの番組は視聴率が低かった」という記事をどこかのプレスが発表した。
それに対して、松本はツイッターで、「その記事はいまだに世帯視聴率で評価している。今のご時世、コア視聴率のほうが妥当な数値であり、そこを評価しないバカライター」と怒り心頭のコメントを出したそうだ。この発言は結構波紋を呼んでおり、今やお笑い界もとい芸能界の大御所である松本人志を怒らせちゃった、、と騒がれていた。
確かに、どこのプレスだか忘れたが、数値の上では世間の評価に疑問が残る世代視聴率を殊更にあげて、明らかに松本をこき下ろそうとする悪意が感じられてイヤらしい。こういう手法は僕も大嫌いである。松本が怒ったのは、よくぞやったと思った。
しかし、ヤフーニュースのコメント(いわゆるヤフコメ)を読むと、「そもそも松本って芸能界の天下人なのか?」とか、「あのコントは実際にどこが面白いのか全然わからない」とか、「芸人同士の馴れ合いで、チヤホヤされて天狗になっている」だとか、世間の評価も松本にはかなり厳しい。
僕自身も、松本人志、ダウンタウンの実績は認めつつも、松本が人間としてすごいかといえば、「?」である。コメンテーターとして大御所らしい秀逸なコメントをするかといえば、そんな感じでもないし、何よりSNSで自分を晒しすぎている痛さがある。だが、それと、お笑いの才能云々はまた別であろう。
というわけで、少し、お笑いについて、自分なりの考えを言ってみたい。

僕は、世代的には、ドリフ世代であり、ひょうきん族世代だ。
中学生の頃は、漫才ブームで並居るお笑い芸人が登場した中、頭1個抜け出してきたビートたけしにとにかく心酔した。
たけしのギャグを初めとした、芸能界でやっていることは、斬新でありカッコよく、それでいてマニアックな笑いがあり、将来はたけしの弟子になろうと思っていたくらいだ。(そうなっていたら、たけし軍団として辛い日々を送っていたのだろうが・・)
たけしのような、国民の価値観を変えてしまうほどの怪物がなかなか現れず、ひとり独走状態で数年が経った頃に、いわゆるお笑い第三世代として、ウッチャンナンチャンやダウンタウンが登場。
ダウンタウンは吉本芸人で地盤は関西にある芸人が、東京に進出してきた新進気鋭といった感じで、3番手4番手くらいの印象だった。僕の勝手なイメージでは、ウッチャンナンチャンが先頭を走っていると思っていた。
だが、次第にダウンタウンは松本人志が才能を開花。開花というか、時代が松本に追いついてきたというか。いつのまにか頭1個抜け出し、先頭を突っ走るようになる。
いつしか、松本は天才と呼ばれ、今までは、いわゆるビッグ3(たけし、タモリ、さんま)はいかなるものも超えられないというタブーを打ち破る勢いだった。
僕は、正直にいって、ダウンタウンのお笑いは受け入れられなかった。
やはり基盤が吉本にあり、関西の文化が苦手だったというのもある。どっちかいうと、江戸前の粋なお笑いが好きで、そういう意味だと、たけしは申し分ない。
だが、好き嫌いは別に、松本がやっていることは素直にすごいなあ、、と思った。
松本が20代終わり〜30代にかけての一番脂が乗っている頃、かなりの実験的お笑いをやっていて、その真骨頂は僕は「1人ごっつ」だったと思う。
松本自身は、そういう言われ方をするのは嫌いだと言っていたが、アートに近かったかもしれない。前衛芸術的なアート。
前衛アートだとすれば、それが面白いかどうかは、個人の感覚になってしまう。ただそれだけの話であり、実際に、松本のコントなどをみて大笑いしたことって、ほとんど記憶にない。
「ああ、こういうのをやりたいんだな」っていうのは思っていたし、松本のネタを理解できないことが、お笑いのセンスがない、とも思わなかった。
ただ、それはそれで、面白いことをやっているというのはある。世間の認知度が高くなるほどに、「松本はセンスある人じゃないと理解できない」という圧力が支配しはじめ、「センスある人間」と思われたい人がこぞって飛びついたんじゃないかなあ。
松本ひとりが、観客、聴衆に迎合することなく、「俺の感覚はこれだ!」を表現し続け、当初周りはポカーンとしていたのが、次第に、松本イズムが面白い!という人が増えて行って、全国レベルまで拡散した感じである。
その松本の感覚をいまだに残しているのは「ガキの使いやあらへんで」だろう。
かれこれ30年続く番組で、そこから派生した年越しに放送する「笑ってはいけない」もすでに10年を超えている。
これだけ長いスパンで続いてきたっていう事実だけでも、松本は十分に評価に値する。

ただ、松本の芸が面白いかといえば、先に言ったように、少なくとも大笑いした記憶がほとんどないため、「面白い」とは感じていない。
だからといって、じゃあ評価しないというわけではなく、松本人志企画のコントなどやっていると観てしまうし、「あーまっちゃんはこういうことがやりたいんだな、、」とそれなりの感心はする。一応、松本人志監督の映画も全部ではないが観ている。
世帯視聴率が低いと揶揄された先のコントにしても、「ああ、まっちゃんらしさが出ているなあ」とは思ったし、自分の世界観を表現したという意味では、良いと思う。
独特の世界観ということでは、ビートたけしとの比較もよくされるが、たけしは、最近、この最晩年の時期にコントなどのお笑いをたまにやるが、それは爆弾級に面白く、大笑いしてしまう。たけし、この最晩年にお笑いが神がかっているんじゃないかと思えるほどだ。
どちらにも共通しているのが、作りこみのショボさと、人を食ったような内容である。
常識的には、大御所なんだしこういうのが来るだろう、というのを予想を外して、「なんだったの?今の?」と関節を外されてしまう。
お笑いでは、僕は息が出来なくなるほど笑ったのはドリフで、作りこみ、お約束、マンネリとコントの常道パターンなのだが、やはりお笑いはお笑いの常識に沿うのが一番面白いのだと思う。が、今はドリフについてはとりあえず置いておく。
たけしと松本、何が違うんだろうか・・
ニュース番組におけるコメント。芸能などに関する評論。映画。
どれをとってもたけしが上をいっていると僕は思う。好き嫌いの問題もあるんだろうが、たけしは洒脱なんだが、松本にはそれがない。
たけしは、伝統的な芸の文化を無視して独自の世界を自由にやってきた人というイメージがあり、本人もまたそれを自覚しているが、実はその根底には、江戸前の古典落語や、義太夫語りなどの心が横たわっているように思える。
どこでその基盤を身につけたのかは謎だが(新宿フーテン時代か、浅草時代か?)、そういう確固たる基盤があって、独自のお笑いをみせるので、その人間性も含めて面白いのかもしれない。人間的魅力というのか。
大学の頃に習った宗教学者の中沢新一は、「ビートたけしにはユーモアのセンスがあるが、ダウンタウンにはない」と言っていた。ついでに爆笑問題にはあると言っていたが。
ユーモアのセンス。これなんだろうな。
ギャグではなく、ユーモア。定義が難しいが、状況に応じた場の空気を読んだ、気配りの先にある笑い。
松本人志は1人独歩の道を歩んでいる。職人というか、求道者のそれに近いのかもしれない。ある意味では、求道者は世間には受け入れがたいものなのかもしれない。
だから、コメンテーターみたいな余計なことをせずに、SNSでどうだっていい本音をベコベコ漏らさずに、淡々とお笑い職人の道を邁進していれば、もっとカッコイイのではないだろうか。志村けんのように。
お笑いで天辺とって天下人と言われ、周りからチヤホヤされだしたときに、松本人志は痛々しいほどの勘違いに走ってしまい、そこに世間の評価が反映されているのかもしれない。
まあ、僕は関西的な価値観はもともと好きではないし、松本人志も最初からあまり思い入れがないのでどうだっていいのだが。
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