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2021年05月25日23:04

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生きる

なぜ生きる

そんなことを考え出すのはいつごろからか
今は小学生でも自殺する時代だ。

なぜといったら必要とされるからだ。

特別なものなどある必要はない。
どんな時でも、どんな場所でも、どんな境遇でも、
必要のない人間などいない。

それに疑問が生まれたとき、一番の絶望が襲ってくる。

自身を絶つ者は、自らの挫折が引き金になる。ということもあるだろう。
でも、それも社会がある中での話なのだ。
まったく他人がいない中では実は挫折は生まれないし、それこそ生きてはいけない。

違うと反論があることは承知だ。
しかし、落ち着いてその理由を再度考える。
他人を介しない自分はどんなものかを考える。
自ずと答えは同じものにならないだろうか

自分の必要性を疑ってはならない。

残念ながら
自分が必要とされたいところで必要とされるのは難しい。
しかし、そこに絶望してはならない。

自らを知るのだ。

分相応という言葉をネガティブに思っている人が多いが、
幸せになるにはいかに分相応に副うかなのだ。

他の一時的な評価に振り回されてはならない。

幸せは自分しかわからないのだから。

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