『「癒し」について』
癒し、という言葉は、
良く使われているようで、
実は広辞苑には載っていないそうです。
「癒し系」という言葉が、
最近掲載されるようになったそうですが、
「癒す」という動詞はあっても、
「癒し」という表現は、無かったのです。
癒すという事は行為のひとつで、
傷を癒す、風邪を癒す、等のように、
癒す対象が必ずあったのです。
しかし、現代では、病気ではない人も、
癒しが欲しい、とか、癒し効果を得る、
等という言い方をするようになり、
「癒し」というもの、そのものが、
求められるようになりました。
自分の持つ傷や病気ではない何かが、
回復し、解消されることを、
現代人は求めています。
忙しさに伴う疲れとか、
人間関係の中で体験するストレスなどが、
それに相当するのかもしれません。
しかし、ひと昔前の日本人は、
癒しが欲しい、とは言いませんでした。
何故現代人は、癒しを求めるのでしょうか。
例えば、生活が個人主義的になり、
人との関係の中で癒される、という機会が、
減ってしまった結果なのかもしれません。
家族や地域の関わりの中で、
煩わしさを感じながらも、
自覚しない中で、人々は癒されていました。
笑い合う相手や、励まし合える相手が、
いつもどこかに、お気軽に、
日常の中に存在していたのです。
しかし、私たちの生きる現代は、
人との関係が希薄になった分、
そこで受け取る良いものも得られなくなり、
その結果、心の中に、
何か欠乏感が発生し始めた、
という事が言えるのだと思うのです。
それが、癒しを求める心理の、
背景にあるのかもしれません。
癒しグッズや、癒しセラピーなど、
癒しというものが、
商品として売られている時代です。
しかし、本当の癒しは、
人との関係の中にあるのです。
家族や地域が崩壊していても、
神様を中心に、人とのつながりが作られ、
そこで、互いに励まし合い、
癒し合うことが出来たら、素敵なことです。
教会は、それを実現する場所だと信じます。
いつも聞いて下さり、
ありがとうございます。
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