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2021年05月13日23:27

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1%の努力

ダイヤモンドオンラインのひろゆきが語る「ラクしてうまく生きる方法」というサイトを読んだ。

https://diamond.jp/articles/-/270126

ひろゆき、とは、「2ちゃんねる」「ニコニコ動画」を手掛け、巨万の富を築いたネット社会のモンスター、くらいのイメージしかなかったのだが、最近は、ネットの裏社会的なところのみならず、表社会にも登場し、一家言を述べていることが多くなってきているため、それなりの社会的地位なのかなあ、と思っている。
著書『1%の努力』は13万部を突破したベストセラーらしいが、この記事はその著書の内容に準じて、語られているようである。

まず私にとってのひろゆきであるが、実のところ、あまり興味はなかった。もちろん、その名は知っていたし、どういうことをやってきたかくらいはざっとは聞きかじっている。が、そもそもその世界に興味が湧かないため、ネット界のカリスマなのだろうが、僕個人は、全くひかれなかった。そのため、彼の言葉をじっくり吟味したことはない。
今回、たまたまダイヤモンドの記事を読んでみて、さすがはユニークな発想をする、と思った。
大学時代に、たまたまインターネットが普及し、ネット世界にどっぷりつかっていたという環境から、当時はまだまだマイナーだったネット界に自分の需要があると思い、そこで名を馳せていく。
無駄な努力をせずに、自分がおかれた環境で出来ることをやり、金もうけに成功した人なのだろう。
奇しくも僕と同じ大学出身で、年齢的には在籍期間も2年くらい重複している。そう考えると、同じような環境で、同じ時代を過ごしながら、富と名声とを築き上げたひろゆきは、圧倒的勝者だろう。それはそれで良い。
さすがは、稀代の論客といわれるだけはあり、この記事に関しても、ある程度の説得力があり感心する。
が、しかし、ちょっと違うんじゃないかなあ・・と思うことがある。
例えば

「もし、シリアとか、南スーダンとかであなたが生まれたとすると、かなりのハードモードで人生がスタートしてしまいます。戦争に巻き込まれて爆弾をよけるような生活だとすると、本人の努力でなんとかできるレベルではないですからね……。」

ここなんかは、なるほどな、と思う。生まれた場所や時代、持っているDNAで、努力してもどうにもならない現実がまず先にある、ということだ。
音楽の才能がない遺伝子なのに、音楽家になろうとするようなことは、「無駄な努力」でしないほうがいい。

「僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。会社からも守られてきただろう。
彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。僕の世代は時代が悪かったぶん、考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。」

これもなるほどな、と思う。バブルのケツの世代が僕らで、その直後、就職氷河期世代のひろゆきたちが来るわけで、ちょうど過渡期にあたる。僕らよりあとの世代は確かに考えることを余儀なくされた。
ゆとり世代だなんだいって、批判したところで、彼らのほうが、かなり考えて世の中を渡ってきたと思う。

「僕より上の世代は、「昔はよかった」と話す人が多い。しかし、ちゃんとデータを見ることができれば、昭和の時代より平成のほうが、殺人事件や餓死が少なく幸せの総量は多いことがわかる」

これも激しく同感する。
やはりこの人は、すごく物事がわかっていて冷静に見ている人なんだろう。
僕ら世代以上って、やたらと「昭和は良かった、それに比べて今は・・」を言うが、モラルや人間の質の高さは、むしろ今時のほうがはるかに良い。もちろん、昭和の良さもあり、それに対するノスタルジーもあるが、それとこれは別。
昭和が良いか今が良いか、といえば、ほとんどの分野で、今のほうが良いと言えるだろう。

このように共感する部分も多々あるが、何となく受け入れられないんだよなあ。
「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」
特にこの部分。これは違うんじゃないかなあ。
努力信仰を否定したいのだろうが、人生なんざ無駄を繰り返すことで、数少ないわずかな成功を見つけるんじゃないか?
その無駄な努力を繰り返さない者には、一瞬のわずかな成功すら与えられない。
才能がない!って見切りをつけるのも、何十年も努力し続けないと、それに才能があるかどうかもわからない実例もあると思う。
こうなると、何を持って才能というかになってくるが・・
ひろゆきが、努力を全くしてこなかった、苦労せずにここまできた、とは思わないが、少なくとも、何かに対して血の滲むような努力をした人ではないだろう。
苦しんでもがいて、ようやく光が見つかる場合もある。むしろ、苦しんでもがいてこなかった人にはその光さえも見えないだろう。
才能があるかないか、なんてのも、努力の先にしか見えてこない。
これが「99%の努力からみつかった1%のひらめき」だと思う。
最初から、ダメなもんは無駄、と切り捨てるのもありだろう。それが人生の最短ルートになるのであれば、それに越したことはない。
だが、多くの人が、何に才能があるか、なんてわかりゃしない。
たまたま足が速かったから100m世界記録目指そう、とか、たまたま勉強ができたから東大へ行って学者を目指そう、という人もいるだろうが、ほとんどの人は凡夫の才しかない。その中で何を見つけるかは、もがいて努力するしかない。
もがいて努力する自由も、否定されてしまったら、凡人は何もなくただ一生を終えるしかなくなる。
頑張って努力したが、その努力は無駄だった、となったときに、じゃあ本当に無駄だったのか?それは誰にもわかりはしない。その無駄な努力が、その後の人生のどこかで役に立ったならそれは無駄だったとは言えないじゃないか。

「発明というのは「電球を作ろう!」っていう発想が1%のひらめきで、そのためにいろんな材料に電気を通して実験して、竹を試してみたり、金属を試してみたり、いろいろな努力をして電球の発明に繋がるわけです。
「電球を作ろう!」という正しいひらめきもないままムダな努力を積み重ねても意味がない……。」

エジソンの発明をたとえにだしているが、そうかなあ・・
電球に関しては、漠然と電球のひらめきがあったのかもしれないし、ひらめきありきから出発した発明も多いだろう。
それは仮説を立てて検証していく作業だ。
しかし、あらゆることを試しているうちに、突如パっと何かひらめくこともあるんじゃないか。
技術系の仕事などしていると、たまにいるのだが、頭の中で思考実験ばかりやってしまい、「できない!できない!」いう人。これなど、まずは手を動かしてみろって言う。手を動かして、まずはいろいろ作ってみて、そうして初めて見えてくるものがある。
努力を惜しむとは、思考実験の段階で、できないから、意味がないから、と実際に動かすことをやめてしまうことだとすると、そこから生まれてくるものは限りなく無である。

ひろゆきのやってきた仕事は、アイデア勝負の世界である。
結果的に、巨大掲示板2ちゃんねるはインターネットを席巻し、瞬く間に世に広まった。社会の価値観を転覆させた化物だといえる。
だが、恐らく当のひろゆきは、そんなに力を入れていないだろう。大きな技術革新はなく、すでに存在していたインターネットの掲示板機能をちょこっと活用し、ネットの裏に潜む人々の心の闇をくすぐった。
いまやネットでの不特定多数の意見が、世論を動かし、人を動かすほどの時代となったが、時には人を死に追いやるほどの苛烈なこの文化の原点は、間違いなくひろゆきが開発した2ちゃんねるである。
ちょっとのアイデアとちょっとの作業で、あとは人々が勝手に動き出す。あとは自分は高見の見物をしていれば、巨万の富が転がり込む。
誠にうまいやり方である。努力せずにアイデア一本で勝ち上がる典型だ。
だがしかし、これが平均的人間ではいけない。
人間は、経済的利益のみのために動いているわけではない。
あるものへの憧れ、欲求。美学、達成願望。名誉欲。そういったものを追い求めたい人が大多数なのではないだろうか。
芸事でも技術事でもいいし、スポーツなんかでもいいのだが、こういったものを「努力」して極めていきたい欲求があり、無駄になってしまうかもしれないけど、そこに行き着くためにもがくことが、意味がないことなどとばっさり切り捨てられない。
世の中の人間が全てひろゆきになってしまえば、世界は終わるだろうし、また、ひろゆきが世界で一番偉いわけなんかじゃもちろんない。
だから、ひろゆきの1%の努力論なんか、絶対に信じちゃダメだ。

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