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2021年05月13日20:16

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阪神大震災その後

2002年6月に書いた記事です。

阪神大震災・その後

私は1982年から5年間にわたり神戸で働いていた時、大阪と神戸の間にある西宮市の中古アパートに住んでいた。

関西ではこの種のアパートを「文化住宅」と呼ぶ。「三浦マンション」という名前だったが、実態は建てられてから30年経っているような老朽アパートで、自分の部屋を暗くして、壁土と柱の間をじっと見つめると、隣室の光が洩れているのが見える。

またある夜、隣人が風呂を沸かすガスをつけたまま寝込んでしまって、湯が沸騰してゴボゴボと音を立てているのが聞こえたため、白河夜船の隣人を起こしてあげたこともある。また日当たりも悪く、暗くてじめじめした下宿だった。

それでも私がこのアパートを気に入っていたのは、阪神電車・香枦園駅の南側、夙川(しゅくがわ)沿いの公園に面していたからである。台所の窓を開けると、夙川に沿って植えられた松や桜の緑が目に飛び込んでくる。浴室の窓からは、雄大な六甲山が見えた。

また私のアパートから南に10分も歩けば、香枦園浜という海岸に突き当たる。ここは明治時代から海水浴場として有名だった。海岸の埋め立てが進み、海の汚染が進んだ今ではとても信じられないが、昔は潮干狩りもできたそうだ。当時を知る友人は言う。

「西宮には日本酒の醸造所がようけあるやろ。米のとぎ汁が海に流れ込んで、あさりがよう肥えたんや」。アパートから一歩出ると、浜からの風に乗って、潮の香りが漂ってくるのも、香枦園の魅力の一つだった。

1995年に欧州で阪神大震災の報に接した私は、下宿のそばの香枦園小学校に通っていた子どもたちが数多く犠牲になったことを新聞で知り、私の住んでいた地域が激しい被害に遭ったことを想像して、暗い気持ちになった。

今年五月、私は15年ぶりに香枦園を訪ねてみた。私が住んでいたアパートは案の定消え去っていた。当時から安普請が明らかだった中古アパートは、激震に耐えられなかったに違いない。あの朝私がここに住んでいたら、命を落としていたかも知れない。

現在その場所には、建売住宅が肩を寄せ合うようにして並んでいる。15年前の香枦園駅は、いかにも海水浴場近くの駅といった感じで、戦前の駅舎のようなひなびた造りだった。

夙川の上に作られた簡単なプラットホームに、申し訳程度の改札口があるだけだった。この駅も、阪神電車の線路を高架上に移し替える工事が進んでいるため、自動改札機を持った近代的な駅に生まれ変わって、当時の面影はなくなっている。

地震で被害を受けた阪神西宮駅の周辺も、見違えるようだ。線路が高架式になって開かずの踏み切りがなくなったのは便利だが、15年前の風景は完全に消えていた。これは震災前の移築だが、グリコ森永事件と朝日新聞阪神支局襲撃事件の捜査本部が置かれていた、西宮警察署のいかめしい庁舎も跡形もない。

29才の若い記者が闇からの凶弾に倒れた阪神支局だけは、高架に隠れるようにして同じ場所にひっそりと建っていた。全てが近代的かつ便利になるのは勿論よいことだ。

しかし現地を訪れて、心の奥にしまってあった風景が仮借なく削り取られているのを見ると、いささか淋しい気持ちを禁じえない。彼方に六甲山を望む夙川公園の風景だけが、私の心を和ませてくれた。

 照明を浴びて、暗闇の中に浮かび上がる豪華客船や観覧車、神戸タワー。ロマンチックな雰囲気がただようミナト神戸である。

私は高級ホテルやショッピングセンター、レストランや酒場が集まる、港に程近いハーバーランドの大娯楽センターを歩いていた。

水路に懸けられた橋や散歩道は、イルミネーションで飾られて、美しい。その明かりが水面に映って揺れる様子には、港町らしい風情が感じられる。しかし、このハーバーランドを散策する人々の姿は、数えるほどだった。

阪神大震災で痛手を受けた神戸の経済は、現在日本を襲っている不況でさらに厳しい状況に追い込まれている。

神戸市役所の調べによると、2000年10月の時点で神戸市の失業率は、全国平均の4・8%を大きく上回る7・1%。今年4月の日本全国の失業率が5・2%だから、今では神戸の失業率は8%近くなっている恐れがある。

震災直後には観光客の数が1228万人と前年の半分以下に落ち込み、今でも震災前の水準には達していない。

これでは地元に金は落ちないだろう。ホテルに空室が多いせいか、宿泊料金も暴落しており、コンビニエンス・ストアのコンピューターで当日分の空室を検索すれば、シングルルームに4000円で泊まることができる。

私は1982年から5年間神戸で働いただけだが、それでも今の神戸の繁華街に閑古鳥が鳴いていることは手に取るようにわかった。神戸では有名だった電器店や菓子メーカーなどが倒産したと聞いて、暗い気持ちになった。

「昔の神戸はもう戻って来(き)いへんで」。ある老舗の職人さんの言葉が、私の胸の奥に澱(おり)のように残っている。

神戸経済は、阪神大震災のために大きなハンディキャップを抱えている。店舗や社屋が崩壊した後、廃業したり、他の地域へ移ったりした店や会社は少なくない。

瓦礫の山は片付けられ、新しいビルは数多く建てられたが、この町が以前の活気を取り戻すまでには、まだかなりの時間がかかりそうだ。



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