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2021年05月13日01:06

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マルサラの悲しみ

2003年9月に書いた記事です。


 シチリア島の南西部、地中海に面したマルサラは、人口2万人程度の小さな町である。

古代ローマ帝国が栄える以前に、地中海で我が世の春を謳歌した海洋民族・フェニキア人たちが、この町の沖のモジア島に集落を築いていたことや、18世紀にこの地にやって来た英国人たちが甘口のマルサラ・ワインを醸造し始めたことで有名だが、今日ではひっそりとした港町だ。

町が中世から近世にかけて栄えていたことを示す立派な邸宅や教会、堂々たる門を除けば、のんびりとした田舎町である。

とれたての蛸やイカ、鯛を籠に入れて、往来で売り歩く商人。ベージュ色の建物や歩道に照りつける、刺すような南国の日光。アフリカの樹木を思わせる、葉が密集して巨大な日陰を作る街路樹。バロック風の見事な邸宅が多いが、空き家も多い。

あるレストランは調度も食事も悪くなかったが、我々が座っている二時間に、他の客は一人も来なかった。がらんとした食堂に料理を作る夫と、給仕をする妻が佇み、手持ち無沙汰そうにテレビを見ているのが、なんとなく哀れであった。

海岸で米国の雑誌を読んでいたら、黒髪のいかにもイタリア人風の女性が英語で話しかけてきた。

マルサラからシカゴの郊外に数年前に移住して、やはりシチリア出身の夫とともに、イタリア料理のレストランを経営しているというこの女性は、夏休みに故郷を訪れているところだった。英語を勉強して米国の市民権も取ったという。

「ここにいても、仕事がないから仕方がない」と語るこの女性の他にも、シチリア島から外国へ移住する人は少なくない。私が住んでいるミュンヘンはイタリア人が多いことで知られているが、多くのレストランのコックはシチリア人である。

映画「ゴッドファーザー」のように、貧しいシチリアを捨てて国外に新天地を求める人は、今も後を絶たないのである。美しい自然、一年中温暖な気候、頬が落ちるような食事と酒を持つシチリア島だが、全ての住民の暮らしを支えるだけの経済力は育っていないのである。

ある農園の周囲を歩いていたら、乾ききった大地に、見渡す限りの葡萄畑が広がっていた。歩くたびに、きな粉のような土ほこりが靴を覆い、時おり地中海の水平線が葡萄の葉の陰から顔を覗かせる。私はある空き地の前で、ぎょっとして足をとめた。

草という草、そして周囲の杭や柵に、何万匹という小さなカタツムリが群がり、植物を枯らしているのだ。枯死した草は、先端までびっしりと群がったカタツムリの重さで、頭を垂れている。カタツムリは、植物を枯らした後、自分も太陽の光に焼かれて、やはり野ざらしのされこうべのようになって、死んでいる。

遠くから見ると白い花に見えたのは、無数のカタツムリの死骸だったのだ。私にはこの荒涼とした風景が、シチリア島の足元に忍び寄る貧困と衰退に重なって見え、40度近い気温にもかかわらず、背筋を冷え冷えとしたものが走るのを感じた。

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