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2021年05月11日11:52

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足りないと思わないために

皆様、おはようございます。

マイミクのにゃん太さんの日記に書き込んだコメントをメモ(記録)と致します。

柱書:

にゃん太さんの記述内容

足りないと思わないために

私は結婚をしているので、結婚を通して体験させて頂くことが、いろいろあります。

しかし、子どもはいないので、父親という立場を体験していませんし、子育てなどについては、分からないことが多いかもしれません。

世の中には、私と同じ年代でも、独身の人も、結婚している人も、子どもがいるという人もいます。

この三通りの立場の違いは、同じ年代の人たちの中に並んでみると、とても大きな違いとなります。

ところで、独身でいるよりも、結婚をしている方が優れていて、子どもがいないよりも、
いる方が優れている、という風に、私たちは考えてしまいがちかもしれません。

自分の立場では決定的に経験できない、という事があると、経験できないことを、経験できる状況にある人の方が優れている、と考えてしまいがちです。

結婚を通して体験することは、結婚しなければわからないし、それを体験していないと、人生経験が薄く、人として未熟と思われるかもしれません。

本当にそうでしょうか。

独身でなければできない、毎日の過ごし方もあり、子育てをしていないからこそできる、
時間の使い方というものがあります。

自分の置かれている状況について、それがどのようなものであっても、前向きに捉えることが出来ます。

しかし、その様に考える根拠として、自分の生きる目的を、はっきりさせる必要があります。

自分のために自分が生きているとしたら、自分自身はあれも欲しいこれも欲しい、と考えてしまうので、置かれている立場に、足りなさを感じるばかりです。

しかし、自分の人生が、誰かのための人生だと考えると、もう少しバランスが取れるのです。

目に見える、いつかは滅びるもののために、自分が生きているとしたら、虚しい人生かもしれません。

しかし、永遠なる神様のために、この人生を捧げられるのだとしたら、今置かれた状況が、神様の御用のために、充分だと、考えることができます。

この世界も、私も、神様の作品ですから。

いつも聞いて下さり、ありがとうございます。

2021年5月9日 21:13




シャインさんのコメント

シャイン 2021年5月9日 21:21

この世界も、私も、神様の作品ですから。

というのがいいですね!!




モリオバッハ

2021年5月10日 08:42

> シャインさん 

おはようございます。

「この世界も、私も、神様の作品ですから。」との思考法、文系人的な、クリスチャン的な、発想法で、文学的なセンス(感性)がいっぱいとの観を持ちました。

貴女のプロフィールを参照させて戴きました。

更年期障害で、体調が余り良くないことを、ご記述されていましたね!!

私も、半世紀余り、近所のプロテスタント教会(東京都墨田区の東駒形教会:賀川豊彦牧師創立)に通い続け、貴女の様な観のクリスチャンを多々診て参りました。

パワー・アップするためには、1980年から2007年まで、ボランティア奉仕活動の一つとして、礼拝堂で、音楽療法の実践・研鑽を勧めて参りました。

クラシック音楽を中心に、ヒーリングミュージックによる音楽療法です。

ご趣味に、音楽鑑賞とご記述されていたので、是非、更年期障害時の体調アップに、取り入れて戴ければ幸いです。

また、体調改善のために、森林浴、滝や海辺に出られて、自然治癒力アップを心がけて欲しいです。

精神(魂・心・気持ち)の癒しや、ストレス解消にも寄与しますから。

多くの女性クリスチャン達が、礼拝堂で、神様からの癒し、音楽療法からの癒し効果で、更年期障害も治っています。

「前向きに励ましあえる方と交流したいです。」と開示されていましたので、是非、交流したいです。

如何でしょうか?

感謝。


にゃん太さん

2021年5月10日 08:47

> シャインさん

人間は完璧じゃなくて、自分もその完璧でない人間の一人なのだから、自分で自分で満たそうと思えばどこかで行き詰ります。なので、自分の人生は神様のためで、神様のために生きていると思えば、今苦しみや悲しみを抱えている事について、何らかの割り切り方をそこに見出すことが出来るのかな、と思います。
ひとつの作品を創り出すという時に、そのために労する事で痛みや悲しみを体験するかもしれませんが、完成した時には必ず喜びがあるので、完成に向かわせてくれる神様に信頼し、期待できるという事は、とても素晴らしい特権です。
どうか良い一週間を☆彡



モリオバッハ

2021年5月10日 09:11

にやん太さん、おはようございます。

いつも、心温まる日記の開示ありがとうございます。

基本的に、人間は、一人で生きることが出来ないため、結婚年齢期になったら、結婚しますよね!!

結婚されて、両親からの戸籍が独立し、ここで、一人前になったことが、戸籍謄本で、証明されます。

そして、子供が生まれ、子孫繁栄のために、さらなる活動をしていくことが求められているのです。

何等かの生活環境の原因(要因・要件)で、結婚出来ない人、子が生まれない人、が多く存在します。

基本的に、先祖から永遠に継がれてきた家系を絶やさないために、結婚することが基本姿勢です。

結婚しても、我儘同士であれば、離婚も時間の問題です。

今や、1組/3組が離婚されている時代背景、聖書をマスターされて、お互いにクリスチャン同士の結婚式も、教会で立ち合い、多々診てきましたが、クリスチャン同士の離婚も多々診てきた次第です。

クリスチャンであれば、神様の祝福を受けて、お互いにつつましく、いつも、明朗で、愛和で、喜働生活をするべきところ、お互いに我儘を言い合っていれば、仲良くなれませんよね!!

日曜礼拝での説教で、クリスチャン同士が、常時仲良く生活するにはどうしたらいいのか、何をどのように実践したらいいのか、等々のメッセージを聴いたことがありませんでしたよ!!

本件テーマの「足りないと思わないために」は、一人者、結婚者、親子関係者、親戚をはじめ、親友、友人、知人との交流も、いつも不足を発しないことに尽きるのです。

如何でしょうか?

不足ばかりを相手に対して、言い続けていれば、仲良くなれないことは、至極当然ですよね!!

日曜礼拝の説教で、聖職者は、具体的に、多くを語っていませんので、信者さん達に対して、通じていないことが判明した次第です。

宗教の究極は、お互いに我儘を言わないことを発信しているのです。

感謝。




シャインさん

2021年5月10日 15:50

> モリオバッハさん 

私はクリスチャンではないし、特定宗教に入りたくはないので、アドバイスの中で出来る事をしていこうと思います。

ご丁寧にありがとうございました。


にゃん太さん

2021年5月10日 22:22

> モリオバッハさん 

夫婦関係に関しては、多様な課題があって、一括りにできないものだな、という事を思います。離婚という事も、当人同士の努力不足とか、単なる我儘という事では括れないことです。聖書によれば離婚は罪だとか、簡単に言いますが、この複雑で多様性に富み、分かり合う事の困難なこの時代に、結婚生活を維持することは、簡単なことではないなと思います。
そして、そんな不完全さを抱えた人間を、神様はそのまま愛してくださっているのだと思います。道徳を守るという事が大切なのではなくて、道徳に従いきれない自分を悔やみ、そんな自分を救ってくれる方が唯一なる神なのだ、という事を信じている、という事が大切なのだと思います。



モリオバッハ

2021年5月11日 08:47

> シャインさん 

おはようございます。

適切なコメントを頂戴しありがとうございました。

私も半世紀余り、近所のプロテスタント教会をはじめ、都内の著名な教会(プロテスタント系・カトリック系・他)の日曜礼拝に参加して、礼拝と音楽マニアとして、礼拝現場を観察し、色々と検証して参りました。

私もクリスチャンではありませんよ!!

理系人ですから、宗教を信仰することはなくても、クリスチャンとの親交は、半世紀余り続けてきました。

仰る通り、特定の宗教に入会することなく、常に、客観的な診方で、貴女と同様に、アドバイスの中で、出来ることを多々実践・研鑽してきた次第です。

私の家族(両親・先妻)をはじめ、多くの親友・友人・知人が、クリスチャンですが、自己中の姿から、脱皮することは出来ず仕舞いでした。

特定の宗教を信仰していると、視野が狭くなり、客観的に事象を解析・判断することが出来なくなる様相を多々診て参りました。

宗教と倫理・哲学との相関関係・相違観を、明確に仰って頂けた聖職者(牧師、宣教師、伝道師、神父、司祭、高僧、貫主、貫首、宮司、神主)100人余りと面会・対談し、判別出来た聖職者のプロは、一人もいませんでしたよ!!

宗教者の大半が、信仰されている宗教が、宗教をやっているつもりになっていても、日曜礼拝や法事で、説教される内容を精査すると、哲学を論じていて、真の宗教の話になっていないことに気づき、釈迦に説法をしてきた次第です。

全方位(多角的に、多面的に)の視野で、宗教現場を観察され、精査能力を身に着けて戴きたいのです。

長年親父が通い続けたプロテスタント教会の牧師夫妻に対して、釈迦に説法をしたら、今まで半世紀余り、日曜礼拝で説教してきたことは、間違いだったと認知・認識して戴けました。

100人余りの聖職者のプロに対して、釈迦に説法をしてきて、間違いを認められた聖職者のプロは、唯一、一人でした。

素直に間違いを認めた牧師は、純心(純粋)そのもので、真心が清く、徹底的にボランティア奉仕活動を尽力された様相が診得ました。

まあ、その牧師さん、他界する前に、宗教・倫理・哲学の差異(相違観)を教えて戴き、喜んで神様の天国に行けると仰っていたことを印象的に覚えています。

何かの参考情報に供すれば嬉しい限りです。

感謝。




モリオバッハ

2021年5月11日 09:08

> にゃん太さん 

おはようございます。

仰る通り、種々の悲惨な事件も、発生原因は、色々とありますが、纏めて申し上げれば、我儘(ワガママ・邪心・邪鬼・エゴ)をしていることが、主なる根本原因です。

これに気づくためには、キリスト教ばかりでなく、種々の宗教・倫理・哲学を基に、最後は、キリスト教神秘主義をマスターされなければ、判明出来ない世界観です。

仰る通り、結婚生活を維持していくことも、生活に対する種々の要因(要件)で、見極めることが出来なければ、困難を伴います。

ご夫妻で、クリスチャンであっても、長年の間に、お互いの我儘が出てくるものです。

私が半世紀余り通っていたプロテスタント教会でも、おしどり夫婦が、多数いました。

大学教授や著名な医療機関の病院長、偉い身分の人程、離婚騒ぎで、あのおしどり夫婦が、なぜ、離婚に至ったのか、教会内でも話題になりました。

偉い人程、建前はクリスチャンで、信仰している様相に診得ても、本音は、裏腹の関係に気づけたのです。

宗教は、自分自身の精神界(魂・心・気持ち)内のあるべき姿を問っているのです。

これを物質界で、活動してしまうと、世界の、自身の悲劇・不幸事件に至ることも検証済です。

どうか、宗教を信じても吝かではありませんが、視野が狭くならず、主観的に考察するのでなく、客観的に考察されて、実践・研鑽・精査・考察を繰り返され、「歓喜の人生」を謳歌し続けてくださいね!!

最後は、感謝しかありません。

このようなことを、半世紀余り、ボランティア奉仕活動の一つとして、皆様に、喜んで戴きたい、役に立って戴ければ幸いとの気持ちで実践を続けているのです。

感謝。


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