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2021年05月05日02:40

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 オ・モ・テ・ナ・シ…。オモテナシ!
と、マネするものがいっぱいで、明るい話題として取り上げられたオリンピック。
今は国民の7割が中止の方向が正しいと判断するものになった。
 当たり前にあの頃は今のコロナなどを予想する者はいなかった。

 諸行無常

 戦国時代ではないが、世の中がどんな風に変わっていくかなど分かるものではない。
昨日笑っていた人が今日死んでいることなどは当然の日常だ。

 どう希望を持ったらいいのか、夢はどうつないだらいいのか
 そんな問いが巷にあふれているように思える。

 その希望とはなんだ?夢とは何をさしているのだ?
 いつも私はそう思う。

 よくこのオリンピックを目指している者の夢が絶たれないように、希望をつなぐように…。などという論調を目にする。
 オリンピックが夢?オリンピックが希望?
ほんとにオリンピックに行こうという選手がそんな精神で戦っていると思っているのだろうか?
 
 人には人生がある。
その人生は当然だがオリンピックが到達点ではない。
それを認識していない選手は、勘違いされそうな言い方になるのを恐れずにあえて言うと、その後の人生には何もない人になってしまう可能性がある。

 オリンピックは非常に大きな通過点だ。
だから到達して乗り越える事には大きな意義がある。
しかし、再度言うが、到達点であってはならない。
その選手の人生にいい影響がある挑戦であってもらいたいと思うが、オリンピックがなくなることが、彼らの何かを奪うことであっても、希望や夢を奪うものなどという考えは、非常に勝手でいい加減な考えだ。

 今回コロナで卒業式ができなかった学生がいる。入学式ができずに、同窓生とも顔を合わせていないものがいる。
 かわいそうなどという論調がある。
どんな立場でそう思っているのだろう。

 いつもあった行事が今回ないから経験できなくってかわいそうというつもりなのだろう。
 その行事は人生の岐路でもあって区切りでもあり、共通の思い出としてあるものだという意識からその思い出を作れないことに、自分だったらそう思うという経験値からのかわいそうなのだろうか

 なんと厚かましい。人の気持ちが皆同じであるとする困った考えだ。

オリンピックの話、学校の始業式の話、ときには閉店した店の話、コロナ以外の病気で苦しんでいる話…。

 みんな同じ悲しみや辛さを持っているとする厚かましい話が多すぎる

 現実はなんだか理解しないのか?あるのは現状・現実以外の何物でもない。
 それを他人の心の内を知ったように語ったり、時には周りのそんな論調に同調する者の多さにヘキヘキする。

 違う話のようだが、昔サザンオールスターズの歌にミス・ブランニュー・デイという歌があったのを思いだす。”皆同じ素振り、町でよく見るタイプの君よ”

 冷たいなどという輩もいるが、そんな厚かましい考え方よりよっぽどましだと思う。

 私も若い頃、あることに打ち込んだ。
友との時間も惜しみ、寝る時間も削り、TVなどもまったく見ずに、打ち込んだ。
その結果、ある程度の結果が持たされたのだが、その後の人生で挑戦の最中に捨ててしまったものの大きさに気付かされた。
 私が間違っていたのは、目標を到達点にしたことだった。
 私は到達した後も生きている。人生を歩んでいる。その人生を歩むためにあるべき目標だったのに、目標のための人生にしてしまったのだ。
人生を取り返すためには、後悔にさいなまれる心との戦いのために多くの時間が必要だった。
 
 日常は常に変わっていくものだ。

 生きていくということは、人が作り上げた目標を利用したりすることもあるが、その目標を人生にすることではない。
 どんな目標であれ、到達できようができまいが、他人には一切関係がないことだ。
共感してくれる方はいる。しかし、それは共感以上でも以下でもない。
 希望や夢は、他人には一切わかりえないことだ。


 どんな者でも等しく病気になり、弱れば不幸になり、しまいに死ぬということ。


SFでもなければこの現実は違えられない。
自分の力ではどうしようもない。戦えない現実を前にしたとき、何を考えるかだ。

分かり切っている事実を認識して、今現在の人生をどう生きていくか

政治のせいではない。
他人のせいではない。
間違いなくすべて自分のせい。


悩むのではなく考える事。

思考停止したものには、こんな言葉も届かないのだろう。


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