知古嶋芳琉です。
「気力」を養う養生訓をご紹介します。
私が特に留意しているのは呼吸法で、
スポーツや武道でも要領は同じだと思う経験があります。
出典は安岡正篤師の講話集、
『運命を創る』(プレジデント社)です。
−−−ここからは引用です−−−
■ 「気力」を養う養生訓
○ 敏忙人の身心摂養法
<静坐の効用>
次に、暇があったなら、否、あらゆる機会に
静坐することであります。静坐の功徳、静坐の学理はもう
事新しく説く必要もないと思います。
禅家、神道家、儒家、何流の静坐でも、
それぞれ特徴がありますが、私自身の体験では、
日本人がつくり上げた武士道時代の坐法が
肉体的にも精神的にも一番良いと思います。
私が痔を病みましたとき、日本流の静坐が一番良かったと、
それこそ痛切に体験をしました。
−−
静坐には調息が伴います。
息については専門的には深い研究がありますが、
とにかく、
できるだけ息を静かに和やかにすればよいのです。
胎息・踵息というような文字だけでも分かることです。
およそ東洋の学問・芸道で息を論じないものはない。
宗教はもちろんのこと、
剣道・柔道の如き武道でも、
あるいは絵を描くにしても、茶でも花でも、
何をやるにしても息が大切であります。
人と人との関係も「呼吸が合う」と言います。
あれは実に意義の深いことであります。
日本人の使っている言葉というものは、
我々が何気なく使っている言葉の中に
深い真理が籠もっていることが多い。
下世話にも、「あいつは鼻息が荒い」という言葉がある。
古人の説明によれば、坐り方にも坐法があるように、
呼吸にも法がある。
大体自分の息が人に聞こえるような息、
荒い鼻息は「風」という。
息とは言わない。
息の部類に属さない。
これは健康が悪いか、心が整わないか、いずれかである。
そこで風が少し治まると、これを「喘(ぜん)」と言う。
「喘(ぜん:あえぐこと。苦しそうにせわしく呼吸する)」
も息の部類に入らない。
それは呼吸にどこか無理がある。
なだらかではない。
これがもう少し練れてきて、
よほど落ち着いてきたものを「気」と言う。
それでもまだ息とは言わないのです。
本当の「息」は第四段に至って初めて生ずるものです。
「息」とは、有るが如く無きが如く、
出入綿々として鼻端に鳥の羽毛を当てても動かない
というくらいまでいかなければいけないのであります。
剣道なども少し上達してくれば呼吸で分かる。
相手の鼻息の聞こえるような奴は、恐るるに足らん。
名人になるほど寂然静虚です。
それは上達すれば自ずから呼吸が調ってくる。
スリが警視庁に捕まっていろいろ訊問されたときの話だが、
擦れ違ったとき、
鼻息の聞こえるような奴ならいつでもすれる。
どうも息の分からんような奴は危ない、
と述懐しておったそうであります。
スリ道でも偉いものです。
−−
次いでは「安眠」です。
よく眠ることです。
眠ることならお手のものだと皆思うけれども、
案外そうではない。
身は横になっても、本当に眠っておらない。
ウトウトして、醒睡の間に在るわけです。
本当に眠る時間はごく少ない。
安眠熟睡さえすれば、そう長く寝る必要はない。
質と時とを併せて考えなければなりませぬ。
ことに質であります。
質さえ善く安く眠れば時間はまあ、四、五時間で結構です。
八時間眠ることは贅沢であります。
間にちょっと十分か十五分眠れば足りると思います。
ただ、旅行をしたり、何か特別に疲れた時は
この限りではありません。
熟睡と安眠とも違います。
良心に疚(やま)しいことがあると、
熟睡をしても安眠はしない。
熟睡の前後その根底に絶えず不安があります。
睡眠剤は極力避けるべきです。
入浴とか按摩とか、電気とか光線とか、
あるいは一盃の美酒とかなんとか、
方法を講じた方がよろしい。
平生ネギを食うこと、
ネギの白根がなければ玉ねぎでもよいが、
一番よく効くのはネギの白根、
それを刻んで枕元で香を吸うても熟睡に導きます。
それから血圧の高い者はいけませぬが、
異常のない限り、後頭部に
罨法(あんぽう:身体の一部分に温熱あるいは
寒冷な刺激を加えることによって、
病気の好転や自覚症状の軽減を図る療法)をする、
アルコールでも二、三滴落とせばなおよろしい。
そうすると非常によく眠れます。
−−
次は「六根清浄」ということです。
昔の人が登山をするときに、「六根清浄、六根清浄」という、
六根を清浄にすること実によろしい。
古人の良い体験です。
六根とはいうまでもなく眼、耳、鼻、舌、身、意、
つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と主観の根元です。
その六根、なかんずく眼と口を始終清浄にする。
口の反対が肛門です。
それで肛門を清める。
痔も結局これがよろしい。
本を読む者は眼を洗わねばなりません。
眼を丈夫にするには洗うに限ります。
清水の中に目を開閉し、
あるいは水道の口にゴム管をつけて、水圧を利用して
それで眼を洗う。
最初のうちは眼を開けぬ人が多いが、
眼瞼(まぶた)の上からでもよろしい、
二、三分ずつ両眼を水圧で打たせる。
そのうち楽に開けるようになります。
冷眼熱腸といって、
眼がはれぼったく熱っぽいようでは駄目であります。
トラホームなども結構治癒します。
かくして天眼、法眼など開ければますます妙。
−−
その次には「足腰を冷やさぬこと」。
「足」という字をなぜ「足る」と訓(よ)むか。
手るでたると読みそうに思ったが、
生理・病理の研究で初めて明らかになりました。
手ではたりぬ。
やはり「足」でなければいけません。
足を大切にすれば健康の条件が足ります。
足を大切にする第一は冷やさぬことであります。
足の血液はなかなか肝臓、心臓に還ってこない。
循環が悪くなると足が冷える。
それに足の踝(くるぶし)とか膝頭は、
いろいろの黴菌(ばいきん)が集まる。
どうしても足を善くしなければなりません。
−−
それから、腰は「要」という字を当てはめてあるように、
我々の身体の要(かなめ)で、
腰の番(つが)いが悪くなっておると、
いわゆる「腰抜け」といって、
昔の人が罵(ののし)ったとおり、
もう三十以上になると、
ある程度腰抜けになっておるもんですが、
これから背骨が狂い、
内蔵や頭の具合までいけなくなります。
それに、ここには脂肪の老廃物などが溜まっていけない。
風呂に入るときも、ザブッと浸かってはいけません。
徐々に沈むこと。
心臓を出して、臍輪(さいりん:世界大百科事典内の臍輪の
言及、【臍】より、臍帯(さいたい)(俗にいう〈へその緒〉)が
胎児に付着していた部分,すなわち臍輪の跡。
臍帯は臍輪によって輪ゴムのようにとりまかれているが,
生後日がたつにつれて,その締めつけが強くなり,
臍帯の中を走る臍動静脈も閉塞し,結合組織化して,
臍帯が脱落する。)
気海(きかい:漢方で、
へその下方1寸5分(大人で約3センチ)の所。
任脈(にんみゃく)に属し、腎炎・糖尿病などの治療点)
丹田(たんでん:伝統中国医学、
東洋医学における関元穴に相当し、
へその下3寸に位置する。意味は気の田のこと)
腰脚足心を温めるのです。
それにはただの風呂より大根の乾葉でも用意して
乾葉湯をつくるのです。
昔の農家は必ずやったものでありますが、
この頃は百姓がそういうことを忘れてしまっております。
大根は何から何まで有り難いものです。
それから足の三里に灸をすえる。
これは非常な効能があります。
昔の諺にも
「三里に灸のない人と一緒に旅をするな」
というほどです。
−−−引用はここまでです−−−
ログインしてコメントを確認・投稿する