mixiユーザー(id:1397418)

2021年04月21日22:51

67 view

ええかっこC

「自分らしく生きる」という言葉は、一見素晴らしいようで、落とし穴がある。
哲学的に「自分」を捉えると深いところまで行ってしまうのだろうが、例えば年端もいかない若い子に「自分らしく生きなさい」というと、必ずエゴむき出しに自分勝手に振舞うのが良いことだと勘違いする奴が出てくる。
若いうちの生き方をどうするかというのは、永遠のテーマだし、人生のやり直しが効かない以上、これで良かったのかどうかの比較もできない。
ただ、僕は子供達には「自分らしく生きろ」とは言わないかな。「自分の気持ちに正直に」とか。
もちろん、自己主張すべきところで自己主張出来ないのも問題ではあるが、そこらへんはさじ加減というのか。
じゃあ何を言うのかというと、「カッコつけて生きろ」という。
自分が今、カッコいいか悪いか、というのを常に意識することだ。
ええかっこしいというのは悪い意味でとらえられる傾向にありそうだが、ええかっこしいをすることで、第三者的な自分が常に自分をチェックし、無様な振る舞いの抑止力になる。
そうなると、何をもって「カッコいい」と思うかが問題になってくる・・

僕自身は、幼少期にカッコいいと思ったのは、テレビの特撮ヒーローだった。仮面ライダーとかウルトラマン。今見るとショボすぎて笑ってしまうような、それらの亜流の特撮ヒーローものを夢中でみていた。
それから、ロボットアニメ、ヒーローアニメなど。
彼らは戦闘に強く正義を愛する心を持っていて、悪い奴らをやっつけるというところにただただ興奮した。
年が上がってくるにつれて、カッコいいと思ったのが、野球選手とか、ボクサー、プロレスラー。千代の富士が登場してからは力士にも憧れた。劇的な場面で、勝ち続ける彼らはカッコいいと思っていた。
ボクサーに関しては、きっかけは「あしたのジョー」だったんで、憧れの第一は矢吹丈。大人になってからは、人格破綻した暴力依存症の矢吹丈よりかは、力石徹のほうが断然カッコいいわ・・と思っていたが。
まあ要するに、男の子として物凄く単純だったわけ。わかりやすいカッコよさが好きだった。
自分の人生で、カッコ悪く情けない振る舞いをしてしまったことは随分あるんだが、どこか根底にこういう人たちのカッコよさを求めている自分がいたから、その都度、そこに立ち返っていた。
高校生から大学生にかけては、バンドマンに憧れ、バンドをやった。ステージで自分をさらけ出し観客が反応してくれるのが快感だった。
ただ、バンドマンというのは、全ての人が、というわけではないが、基本的には「怠惰な生活」に美学があったりする。だらしなく酒を飲んだりとか、マリファナやってます、なんてのもいた。反社会的な生き方こそがカッコよく、卒業後、ろくに就職しないのも結構いた。みんなどうしてんのかなあ・・
まあ、時代的には左翼思想の終わりくらいの時代だから、そういうのがもてはやされていた風潮もあったのかもしれない。バブル崩壊前夜でもあったし、そんな生活していても生きていける、という楽観視もあったと思う。
いつの頃からだろうか、、そういうの何かカッコ悪いなあ・・と思い始める。
音楽自体は好きだし今もよく聴くが、音楽やっている人の怠惰さというか、自分語りというか、常に自分を言い訳しているような気がして、ちょっと嫌になった。

やはり、男は黙って、なすべきことをやるという不言実行がカッコいい。
スクリーンの中の高倉健のように。(とは言いつつも、高倉健て実は結構しゃべるんだけどね)
あとは、何を言おうが結果で全てが評価されるアスリートとか。
「私は内面でこれだけの苦労しています」というのを安易に口にするのは、どうも野暮ったくカッコ悪い。とは言いつつ僕自身ちょっとつらいことがあるとすぐにグチグチ言い訳してしまうが・・
昨今は、政治家という職業が子供の憧れの職業ではないそうだが(昔からか?)、政治家というのはその実績で評価されるはずなのに、いかに自分を言い訳し他人を攻撃するかに終始している風潮にある。やったことを素直に認めず言い訳する。もし信念があるんであれば、言い訳も謝罪もせずに堂々としてたほうが、国民から信頼されると思うんだが、記者会見などで誰かのせいにしているシーンは毎日のようにみる。どうみたってカッコ悪く、これでは子供が憧れるはずがないと思う。
んで、昔だったらパイロットだとか、医者・看護婦、あとプロ野球選手などが憧れの職業の上位にいたんだが、今はユーチューバーが一番人気なのだそうだ。
これはこれで・・ユーチューバーってどこがカッコいいんだ?何も投資せず苦労せず、ただただ自分の好きなことをやって動画アップするだけ。僕はほとんどみないので詳しくは知らないが、息子がみているやつをチラっとみせてもらうと、「これのどこがいいの?」と思ってしまう。
まあ架空請求してくる組織の実態を暴いたりとか、ああいうのは面白いし勇気ある行動だとも思うが、ちょっとしたダークヒーローなのだろうか?ただ一歩間違えれば、彼らは社会に出て苦労するわけでもなく、たまたま投稿した動画のアクセス数が多かっただけなので、自己本位の勘違いした正義感になってしまう傾向にあると思われる。それ以前に、自分を晒しすぎるのはみっともない。
自分を晒しすぎるという意味では、タレントやスポーツ選手なども、ブログ、インスタなどをやって、プライベートまでホイホイ晒しているのが増えてきた。ある意味、僕らの世代にはなかったことなので、未知の世界を覗ける楽しさは確かにあるんだが、彼らは未知の部分があるゆえに神秘的なのであり、私生活とか本音などがどうあろうが、人前で脚光を浴びている姿に我々は憧れるのである。それをベコベコと晒すのは、なんだかカッコ悪いなあ、、と思う。
マスメディアで観る限りでは、尊敬に値する行為・発言をする有名人が、ツイッターなどで誰かと喧嘩して本音をベコベコ晒しちゃったため、それまでは僕はファンだったのに、急に嫌いになってしまった人もいる。
何かと言葉が溢れている世の中ゆえ、自分の中の本音が、外に出すぎているのである。
そういえば、僕の参加しているスワローズコミュでの話。
真中元監督が、年間96敗を喫した最悪の年に、ファンは連日敗けることに業を煮やして、真中監督をバッシングしていた。スワローズコミュでも、毎日のように「真中監督は謝罪すべきだ!」なんて荒唐無稽な書き込みがされる始末。
そんな折、ある女性(だと思うが・・)から、「真中監督は、ブログを始めたらどうかしら?」という提案があった。曰く、ブログで、「今日はこういう作戦を考えていたが裏目に出た。ファンの皆様ごめんなさい」とか書けば、ファンも納得するんじゃないか?と。
納得するか!馬鹿野郎!
どこの世界に、勝負の作戦を外部に漏らす馬鹿がいるんだ!というのもそうだが、真中監督もプロ野球という勝負の世界に身を置いている以上は結果がすべて。そんな言い訳を毎日されたところで、人間性を疑ってしまう。
とまあ、ブログ公開なんてそんな馬鹿なことはもちろんないんだが、今時ってこういう価値観なんだなあ、、となんともまあ、うんざりした気持ちになった。

取り留めもなくなってきたが、ええかっこしい、するためには、こういうのがカッコいい!というモデルを再度見直したい。
口とがらせて議論で言い負かして「はい論破!」なんてのは明らかにカッコ悪い。
自分の感情を垂れ流して「自分の気持ちに正直いきてまーす!」なんてのは、死んだほうがいい。
逆に「北の国から」の黒板五郎のように、不器用で表現も下手で、気の利いた言葉も言えないが、黙って無骨に家族に愛を与える父親像もなかなかカッコいいもんだな、と最近思った。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年04月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

最近の日記

もっと見る