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2021年04月20日07:53

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守破離

少年ユーチューバー「ゆたぼん」というのが、学校行かない宣言をしてユーチューブにアップしているという。
今、小学校を卒業し、中学生になったのだが、小学生の頃より不登校宣言をし、卒業証書をビリビリに破くパフォーマンスをやり、継続して不登校宣言を続けているという。これには親の差し金もあり、結局は胡散臭い売名行為でユーチューブより広告収入を得ようとしている裏が見え隠れする。僕には、子供の人生を台無しにしてあぶく銭を得ようとする畜生にも劣る親のゲスな精神しか見えてこないのだが・・
ネットでは、2ちゃんねる創始者のひろゆき氏やら脳科学者の茂木健一郎やらもツイートなどして、盛り上がっているのだが、僕はこんなの一切放置して誰もみなけりゃいいと思う。相手した時点で思う壺だろう。
僕の意見は、賛成か反対か以前に、さっさと野垂れ死んでくれ、くらいしか思えない。
少年革命家を気取り、世間に一石を投じているという勘違いがとてもあざといと思うが、これだけ世間的に有名になってしまえば、彼を将来雇う企業などはないだろう。そんな時に、学校というバックボーンさえもなければ、この先生きることに苦労するはずだ。まさかユーチューバーとして生計を立てられるとでも思っているのだろうか?

同じ中学生の子供を親に持つ身としては、ちょっと考えてしまう。
僕は子供達には、嫌であろうがめんどくさがろうが、とりあえず学校には行きなさい、と言っている。もちろん、昨今流行りのいじめなどの極度の精神的ストレスを抱えていたりしたら、そこは考える。が、その際でもフリースクールなどの道は模索してあげようと思うが、とにかくどこかに所属し、最後まで通うことにこそ意義がある。
幸いにか、今は楽しんで通っているようで、学校も習い事もほとんど休んだことがない。こちらも「疲れた」なんていう理由では休ませないし、ちょっと体調悪いくらいでは行ってこいっていう。
まあ、うちの子供たちは原爆級にデキが悪いので、せめて「休まずにしっかり行く」くらいの根性はほしいところだというのもあるが・・
多くの人の意見なので、今更言うまでもないんだが、学校というのは、勉強以前に集団生活の始まりであり、集団の中でいかに自分と折り合いをつけていくかという場所である。社会的な人間を育む場所であり、その中で、自分の得手不得手を模索していくところだろう。
勉強なんかできなくたって、他に自分を生かす道はいくらでもある、ということを肌で覚えていくことも学校に通うことで身についてくる。
運動会で一等賞を取れない、とか、先生に依怙贔屓されている生徒と邪険にされる生徒がいる、といった、世の中の不平等や、差別が存在していることを身をもって覚えていく。それでもって、自分の立ち位置や、生き方を考えていくものだ。
少年革命家とやらは、何がしたいのか不明だが、そういった、10代までに身につける人生スキルをその時点で放棄してしまった。要は人生の土台を一切作らずに今後社会に出ていくことになるのだ。そうなったときに、支える土台がないため、人生はあっという間に破綻するだろう。
これは、登校したいのに、様々な要因で不登校に悩む子たちとも違う。彼らはその苦悩の中でなんとかもがいて活路を見だそうとしていると思うが、こいつは、鼻から舐めた態度で放棄している以上は、その土台ができあがることはまずない。

よく、「個性を尊重せよ」を前面に出しすぎた個性のはき違いな奴がいて、そういう奴らの浅ましさは僕も日記でさんざん書いてきたが、改めて思う。
個性を発揮するに至るまでは、自己を捨てて臨む鍛錬が必要である。
一般に、一人前になるには「守破離」と呼ばれているプロセスを踏むという。(もともと「守破離」とは、芸道・芸術などの修行の過程を示したもので、出典は千利休の『利休道歌』から来ているそうだ)
「守」の時期は、師匠から教わった型を徹底的に守る。つまり己を捨てて決められた型を徹底的に身に着ける時期である。その次に「破」の時期。身についた型を自分なりにアレンジしたり他流派の型と比較し取りこんだりと、身についた型を破っていく時期である。
その鍛錬を続けていくことで、あらゆる型から自由になり、型から「離れ」自在になる時期がくる。ここまで来て達人になるわけだ。
ウィキペディアによると、落語の修行を例に出している。

守:古典落語を忠実に表現することができる。
破:古典落語をより面白くアレンジすることができる、あるいはよりわかりやすく表現することができる。
離:経験を活かし新作落語を作ることができる。あるいは、落語から進化した新たな芸風を作ることができる。

いわゆる名人と呼ばれている人は、離の状態であろう。テレビなどに出てくるちょっと有名な人くらいだと破の時期。守の時期は、寄席の前座で泣かず飛ばすの時期だろう。
ひとつ落語をとってみても、古今亭志ん生だとか立川談志だとか、ああいう個性が強い落語家も、守破の時代を経験して、ようやく落語家としての強烈な個性を発揮できるようになる。
人生においては、学生時代とは「守」の時代だ。
集団生活で他人との関わり方を身につける。幅広く教科を学ぶことで、生きていても困らない程度の知識を身につける。その他、約束を守ったり時間を守ったり、自分のしたいことを我慢してもやらなきゃいけないことをやる習慣をつけたり、そんな時期だろう。
ところが、この少年革命家とやらは(この呼び方も奴をいい気にさせてしまいそうで嫌だな・・)、守をやらずにいきなり、破か、離にショートカットできると思っているのだろう。
今後、この子がどういう人生を歩むのか、知ったことではないが、少なくとも自分の生活圏内に入ってくるようだったら僕は全力で拒絶する。
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