『汚れた心との向き合い方』
何か大きな失敗をした時や、
誰かを深く傷つけてしまった時などに、
自分自身の未熟さや、
良くない部分をえぐられた思いとなり、
とても嫌な気持ちになります。
汚れた自分に目を背け続ける事も、
できるかもしれませんが、
誰しもが、自分は汚れたくないと、
思うものでしょう。
汚れた自分をきれいにする方法が、
分からないと、嫌な気持ちに浸り続けます。
そして、嫌な気持ちに浸り続けていると、
人との関係も、悪くなります。
出来るだけ、明るく喜んで過ごしたいと、
人は思うものですから、
嫌な気持ちに浸り続けている人とは、
距離を置きたいと思うものです。
なので、自分の悪い心と向き合う時、
自分には悪い部分があるけれど、
別の良い事をして悪い部分を補おう、
という事を思う場合もあります。
許されない過ちを犯してしまったと、
自分自身を責め、悔やみ続けている人が、
慈善事業などをして、
自分を悔やむ思いを和らげよう、
という事を思う場合があるかもしれません。
それによって、心の中にある汚れを、
すっきりさせることが出来るのであれば、
悪くない事かもしれません。
しかし、それでも心の中には、
おそらく異物が残ったままです。
あなたは汚れていないと、
誰かにはっきり認めてもらわなければ、
その汚れは拭えたとは言えないのです。
それはきっと、絶対的な権威を持った、
神様にしかできない事です。
私たちの罪のために、
イエス・キリストは十字架に架けられ、
苦しみの後に死なれた、という事は、
遠い国の昔々の話だと思うかもしれません。
しかし、「罪」と呼ぶことのできる、
自分の中にある悪い心と向き合った時、
この十字架の出来事は、
自分自身が生きるという事と、
直結した意味を持つものです。
自分自身の力で、
自分の汚れを拭い切ることはできません。
しかし、
その汚れのために受けるべき代償を、
神である方が代わりに負われました。
なので、自分が汚れだらけと知りながらも、
明るく元気に、生きられるのです。
いつも聞いて下さり、
ありがとうございます。
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