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2021年04月16日00:09

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パワハラを乗り超えて

北海道の看護学校でパワハラ事件があり、保護者らから訴訟が起きているそうだ。
以下、ネット記事から拾ったところによると、先生から生徒へこんな発言があったとか。

 「授業中に先生が書いているペンで『ぶっ刺すぞ』って言われた」
 「あんたに指導する価値はない」
 「頭が小学生以下」
 「蹴るよ、殴るよ」

まあ、こういうのの報道ってのは誇張して書かれることも多いので、だいぶ差っ引いてみなければなるまいが、なかなかエグい感じだ。これ以外にも、ミスしたときの始末書を提出させられ、ダメ出しの嵐、しかもどこを直すべきかの指示もなく、都合30枚も提出させられただの、それの書き直しのせいで再試験を受けられず留年を余儀なくされただの、出るわ出るわ・・
もちろん、言われた学生側にも何らかの問題があったのかもしれないが、記事を信じると、休学してしまったり、留年したりで、入学時19人いた生徒が9人しか残っていないというので、尋常ではないと思う。
まあ生徒のためを思ってあえて厳しい状況に追い込むといった「思いやり」での厳しさではないな。
僕はこういう教師って、嫌いだし、人間性という面では地に堕ちていると思う。
ただ、昨今多いこういうニュースを見るにつけ、ただただ「私はパワハラを受けました。そのせいで心身喪失しました。被害者です」と単なる被害者になりきってしまうのもいかがなもんかと思っている。

僕らの学生時代は昭和末期なんで、いわゆる昭和世代の価値観をもった先生ばかりだったんだが、こういう人でなし先生なんかいっぱいいた。今の価値観でいうと、もう毎日がパワハラであったと思う。
なかには、愛情をもって厳しくする先生もいたが、自分の怒りの腹いせを生徒に八つ当たりするようなとんでもないのも多くいた。
そんなもんだ、と思っていたから、さしてすごいことだとも思わなかったし、社会に出てからも、そのてのろくでもないやつなんざいっぱいいて当たり前と思っていた。それが善いか悪いかはわからないが、そういう環境に対する耐性は、昨今の人よりもあると思う。
そんな僕らの世代からみても、戦争を経験しているおじいちゃんおばあちゃんたちの忍耐強さには敵わないと思っていたし、実際、その世代からは「現代っこはひ弱だ」と言われてきた。
多分、平和な御代が永く続くほどに、人間の精神力って弱くなってくるんじゃないかと思うが(パワハラ被害者だけでなく、加害者のほうも精神的弱者である)、今後ますますこういうハラスメント行為は細分化され、叩かれていくことだろう。
今など「ハラスメントでないものって何?」と思えるくらいになっている。
ちょっと陰口たたかれりゃ「モラハラ」、女性を食事に誘えば「セクハラ」、酒を勧めりゃ「アルハラ」。今なんぞ人気アニメの「鬼滅の刃」の映画を観ていない人に「鬼滅みた?」と聞くだけで「キメハラ」というらしい。まあ最後のはほとんど冗談としても、そのくらいの勢いでハラスメントという言葉が溢れかえっている。
その結果か何かしらないが、特にネットでのSNSなどのやり取りをみていると、自分の気に入らない発言、ちょっと批判する発言をされただけで、「自分は心を傷つけられた被害者だ、わーわー」騒ぎ出すようなのまで散見する。
そうなると、もう何が正しく何が間違っているのかなんて全くわからないし、究極、無感情に機械的に物事をすべて行っていくしかなくなるんじゃないか?
学校の先生であれば、教科書に沿ったことを機械的に教えるだけ。学習要領に沿ったことを機械的に実施するだけ。怒りもせず笑いもせず、質問きたら質問に対する回答だけを淡々と返答して終わり。
結局、家で教科書読んでいるのと何ら変わんなくなってしまうが・・

もちろん、行き過ぎたパワハラ行為、例えば一生消えない傷が残るような暴力とかは犯罪だし、そんな人でなし教師は即刻逮捕で良い。だが、ある程度、厳しくされ嫌がらせを受けることについては、精神修行だと思うことはできないだろうか?
今回のような看護学校など、人命を預かる医療の現場へ出れば、それこそ理不尽な現実がたくさんあるはずだし、そういった劣悪な環境の中でもミスが許されない場所だ。
その時に、精神的にまいってしまうようであれば、職業として医療現場へ従事することは難しいだろう。何あろうが冷静に正確に対応できる技術と精神力が求められるのである。
看護学校のパワハラ行為など昔からしばしば耳にするし、著名な医師の執筆した著作を読むと、インターン時代に師匠にあたる医者の先生から、ミスすると木のサンダルで脛蹴られたなどといった話がでてきたりする。やられた側からすれば理不尽の極みなんだろうが、出世していった人の自伝を読んだりすると、若かりし日の理不尽な仕打ちを経験していたりする。
また、学生時代から、そのての理不尽なパワハラを受けることで、弱い人は辞めていったりするんだろうが、そこで「この世界で通用するような心身の強さがあるか」というふるいに掛けているのかもしれない。
そこで挫けるようでは、現場に出てもっと厳しい状況におかれたら生きていけないだろう、と。だったら早く見切りをつけて別の道を探したほうが人生を無駄にせずにすむ。
パワハラを推奨するわけではないが、パワハラ教師に耐えるのも己を練磨するという意味では良いのではないか?

こういった問題は、一口で何が良いって言えない。
昔は、アスリートの世界ではしごきが当たり前であって、それで逞しく結果が残せる選手が生まれてきたと信じられていた。
だが、昨今はそんなアスリート界でも、しごきなんかやろうもんなら、体罰だパワハラだ騒ぎ立てニュースになってしまい、加害者の監督・コーチなどあっさり更迭される。
じゃあ今のほうがアスリートの質は落ちたかといえば、昔では考えられない結果を残したりするので、理不尽なしごきで選手が強くなる、ということも一概には言えない。
もっとも、しごき以前に、練習方法に科学的根拠を取り入れて質があがっているという側面もあるが・・
僕のいる業界では、かつては激務が当たり前で、理不尽な残業、休日出勤は当たり前だった。上司や先輩から、できないと怒鳴られ罵倒されたり、無視されたり、なんてこともあった。
が、最近では法律改正され労働監査局が主に雇用主に厳しくなったため、残業は減り、稼働時間が高まると「稼働調整」という休みが許される。罵倒や暴言は「パワハラ」に当たるため、ちょっとでも厳しい言葉をいうことが出来ず、上司は若い者に気兼ねし腫れ物に触るように接している。
その結果かどうか因果関係は不明だが、年々、納品する成果物の品質は確実に低下していっているし顧客に対するサービスレベルは確実に低下している。
現場には緊張感がなく、とんでもないミスで世間を騒がせているのにヘラヘラ談笑しているというシーンが見受けられる。過去には考えられなかったことが起こっている。
こういうのを見ていると、今後我々は世の中で生き残っていけるのか不安になってくる。

現実の厳しさ非情さを、早いうちに知り、自分ではとても無理、と思えば早めに方向転換するというのもひとつの選択しであろう。
件の看護学校のパワハラ記事で、「看護師になるという夢を教師に打ち砕かれた」という意見があったが、夢というのは、どんなにつらい現実が立ちふさがっても乗り超えられてこそ実現するものだろう。たかだが専門学校の教師ごときに嫌がらせされた程度で、簡単に打ち砕かれるなら、どのみちその夢は頓挫するのではないか?
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