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2021年04月01日17:52

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散る桜 あやしい絵展

千鳥ヶ淵の夜桜を描いたという、松井冬子の作品を思い出しながら、近代美術館に向かう。

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松井冬子 「この疾患を治癒させるために破壊する」 2004年


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「あやしい絵展」 3/23(火)〜5/16(日)
東京国立近代美術館

予約なしで訪れた土曜日、当日券購入客の長蛇の列に諦めた。
平日だが念のためとweb予約。
正解でした。
並んでましたね。若い女性も多かった。

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上村松園の「焰」、「花がたみ」(後期)、甲斐荘楠音の「横櫛」、曾我蕭白「美人図」などの有名どころの他に初見の作品もかなり有りました。


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鏑木清方 「刺青の女」福富太郎コレクション

さすが、キャバレー王福富太郎のコレクションです。(福富太郎コレクションは4/4まで)


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鏑木清方 「妖魚」福富太郎コレクション

アンデルセンより「セイレーン」を想わせる人魚。構成は洋風なのに、人魚、岩、金屏風と和風テイストが妖しさを醸し出しています。


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藤島武二 「婦人と朝顔」1904年


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藤島武二 「夢想」1904年

二枚とも1904年の白馬会展に出品された作品で、同じモデルだと思われます。

「婦人と朝顔」のアンニュイな雰囲気はなんなんでしょう。
朝顔が咲く初夏の透き通った空気感とは逆の気だるい表情に妖しい魅力があります。

今回一番印象に残ったのは、甲斐荘楠音の「畜生塚」です。
画集で見ていましたが、実物は初めてです。


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甲斐荘楠音 「畜生塚」1915年頃 未完

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「畜生塚」部分

「畜生塚」とは、豊臣秀吉の甥で秀吉の後関白になり家督を継いだ豊臣秀次(1568〜1595)が、秀吉の嫡子秀頼の誕生後、謀叛の罪で出家、蟄居、切腹となり、最後は京の三条河原で晒し首。妻妾など三十数名も三条河原で処刑され、一ヶ所の穴に投げ込まれ、そこを「畜生塚」と京の人々が呼んでいたそうです。

「畜生塚」は京都市立絵画専門学校を卒業した1915年頃の作品で楠音は20歳でした。
「横櫛」が1918年なので、まだ無名の画学生の挑戦的作品だと思います。

秀次が切腹し、眷族もろとも処刑されるとの沙汰を受け、恐怖と絶望に苛まれる女たちを描いています。
楠音がなぜ秀次の故事を題材にしたかは分かりませんが、妻も妾も侍女も皆裸体で描かれ一様に恐怖と絶望に支配されているある種の一体感があるようにも見えます。
未完ながら、迫力のある絵です。


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甲斐荘楠音 「横櫛」1916年

最初の「横櫛」で、1910年の国展に出品した「横櫛」より妖しさはまさっています。
表情、左袖からのぞく黄色の襦袢。

何度観てもゾクゾクしてきます。


桜はもうすぐ散ってしまいますが、あやしい絵はまだまだ続きます。

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「散る桜 残る桜も 散る桜」
良寛





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