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2021年03月17日20:10

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神様の話をすると、2


それは宗教?
って尋ねてくる人について
思うところがあります。


そう尋ねてくる人は、
自分はどの宗教にも属していない。
そう思い込んでいる節があります。

と言って、全くの無神論者という訳でもないようなのです。
神様はいないと思っている人ならば、
初詣に行く必要がなかったり、
冠婚葬祭で、神様の加護を受ける必要はありません。

ところがそういう人であっても、
クリスマスをロマンチックに過ごしてみたかったり。
友達と、初詣に行ったり、
誰かが亡くなったと聞けば、
葬儀に行くこともします。

生死に関わること、
運に関わることは、
ほぼ、神様ごとです。

にも関わらず、
神様の話はなぜか嫌って、
避けようとするみたいです。

多くの人は、それを科学的でないから、
という言い訳をしたりしますが、
そういうことを頭から否定する方のほうが
私には、よほど非科学的だと思います。

科学というのは、
反復性、再現性を検証する
実証主義の思想の上に成り立っています。
その反復性、再現性に、
数学上の方程式を当てはめるのが物理学です。

その、仮説にしても、
反復性、再現性を示す方程式がないからと言って、
神様ごとを否定するのは、
「科学教」という宗教の信者に
なってしまっているから、
に他なりません。

「科学教」の信者さんたちの特徴は、
自分で、確かめたり、調べたりすることを
しようとはしません。
その代わりに、
マスメディアの報道とか、大学教授の話とか、
権威にすがり、
そこからの情報を全く疑いもせず、
信じ込んでいます。

本来の科学者としての姿を取るならば、
誰かが語る情報をただ鵜呑みにするのではなく、
自分でも同じことをやって、
同じ結果が出るか確かめます。

それができなくても、
他の情報リソース(実際の集計データによる一次情報)を
確認します。

それをしてないものは、
「分からない。」
と言うのが本来の科学者です。

ですが、「科学教」の人々は、
自分が信じたくないことは、
「非科学的で有り得ない。」と言って
頭ごなしに否定してしまうのです。

残念ながら、
日本人の殆どの人々が、
知らず知らずの内に、
この「科学教」の信者になってしまっています。

この宗教にハマってしまっている人のやっかいな点は、
自分はどこの宗教にも属さず中立だと思い込みながら、
他の人々の神様ごとの知識、知恵を否定してしまうことです。

「科学教」の人々は、
ありとあらゆる神様ごと、
現代科学では、検証できないことを、
頭ごなしに否定していながら、
神様には、願い事をしていたりするのです。

つまり、神様の立場からすると、
自分の存在すら信じておらず、
認めていない、「科学教の信者」たちの面倒も
看続けているのです。


神様が存在するか、しないかは、
現代科学では証明できません。

誰かが神様に祈ったら、願いが叶った。
と言ったとしても、
誰もが同じように祈ったからと言って
同じように願いが叶うわけではありません。

ですが、今、私、私たちが今ここでこのようにして
人類として生きているのは、
今科学者たちが語っている
宇宙の年齢、地球の年齢では
確率的にありえない進化があってのことです。

そこまで言わなくても、
私はADHD(注意欠陥多動障害)という障害を持っていますが、
その私が、人生の途中で死に至る事故に遭わずに
こうして生きていることだけで、
私は神様の御技を想います。

私は、あらゆることが、
神様の御技によってなされていると想っています。
だから、私は、
どうしたら神様を味方につけられるか、
想い廻らせました。

そのことを、私はここに書き綴っています。

それは、あくまでも、
私の中の深いところにいる神様と、
私が向き合って、得たものです。

あなたが、あなたの内側の神様と向き合って、
出てくる答えは違うかもしれません。

でも、それはそれで良いのだと、私は考えています。
私の中にいる神様は、
あなたの中にいる神様とは違うかもしれないのですから。

ただ、私は、誰かの言葉に乗せられて信じ込んだ事柄よりも、
自分の内側に潜り込み、
自分の内側の神様と対面し得た知恵は、
何事にも替え難い貴重なものだと思っています。

そして、それを日々しながら、
自分の人生を歩んでいる人が、
幸せでないはずがない。
そう思っています。

そろそろ、
科学教の染脳を自ら解いて、
自分の内側の神様を見出して、
自分自身を輝かせ始めませんか?


もし、今、自分は幸せだと思えないとしたら、
それは、自分の内側に存在する神様を
ぞんざいに扱っているからだろうと思います。

私、私たちが信じていようが、いまいが、
関係なく、神様は、
私、私たちを見守り、私、私たちを導き
私、私たちと共に生きています。

私、私たちの意思に全く寄り添って、
私、私たちの思うようにやらせながら、
痛み、苦しみも一緒に味わっているのです。
それが、私、私たちの内側にいる神様のしていることです。

その、私、私たちの内側の神様は、
隣で起こっていること、
目の前で苦しんでいる人のあらゆることも分かった上で、
無批判に私、私たちに寄り添い、
私、私たちの味わうことを一緒に味わいながら、
私、私たちが目覚めて、
自分の内側にいる神様を見出すことを願い続けています。


私、私たちに何があろうとも、
私、私たちがどんな状態であろうとも、
私、私たちの内側に神様は宿り続けています。
その神様に感謝して、
その神様の声に耳を傾けて、
その神様の想いを実現するために生き始めたなら、
幸せに生きられないはずはないのです。

それは、私だけの神様のようで、
あらゆる人の、あらゆる魂の神様だったりしてる。
というのが私の得ている答えです。

でも、良いのです。
違っていて良いのです。
私の感性と、
あなたの感性は違います。
だから、現れ方だって違います。
だから、反復性も再現性などもないのです。
科学では実証しようがないことなのです。

ただ言えることは、
そういう神様が、
私の中に在ることを認めたら、
楽になり始めるのです。


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