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2021年03月14日17:22

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湘南食べ歩き「ブラックアンガス」(3)

 令和3年3月11日(木)(2021年・2681年・4353年)。
 「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災 #あれから私は 】
 https://news.yahoo.co.jp/articles/af7a0c60d139bbd51f4021f304121b7d2be78ff0
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 「罪悪感は今も…」町を飲み込む大津波にシャッター切った、南三陸町の写真館が歩んだ10年間 #あれから私は
 https://www.businessinsider.jp/post-230862
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 平成23年3月11日(金)の、東北の大地震から10年。
 神奈川県も被災地でした。
 駅ビルや大型スーパーに大きな罅(ひび)が入ったり、停電になって交通信号が消えたり、電車が止まったり、店から物がなくなったり。
 日記に記録した人は、もうすぐ、フェイスブックの思い出機能で出て来る筈。
 その後、何事もなく、桜の花は咲きました。
 3月15日(火)のFMやまとは、19時10分頃に停電で停波。
『予備電源で、19時50分頃に復旧した。
 それでも復旧していたというだけで、運動会の時の、ワイヤレス・マイクのテストみたいに、
「あー、あー」
 みたいな事をしていた。
 懐中電灯でスタジオを照らしながららしいが、20時00分頃に完全復旧していた。』
 3月17日(木)になると、食べる物が余り始めました。
『近くの大型スーパーに行くと、次々と新しいカップ麺が並べられていた。
 店内の牛丼チェーン店も、ほかの店も、メニューに制限があったものの営業していた。
 その上、食料品売場に戻ると、お総菜が売れ残っているらしく、次々と半額シールが貼られる所だった。
 余震は3月11日(金)より前からあって、FMさがみ、よしのすけの爆裂ラジオでは、3月9日(水)から地震を取り上げていました。
『地元ラジオを聴くと、この番組は大地震の前、3月9日(水)の再放送なのだが、既に東北地方で小さな地震が始まっている時で、パーソナリティは地震の時の心構えについて語っていた。』
 桜の写真は、平成23年の物です。
 小田急電鉄は、小田原線が相模大野駅まで、江ノ島線が長後駅までの運行でした。
 起伏の多い区間は電気を使うので、切ったのでしょう。
 当時は横浜に目が行ってなかったので、相模鉄道ほかの記憶がありません。
 令和元年秋の台風の時も、江ノ島線は長後駅で切ってましたね。
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 暖かくなって来たけれども、布団の中が好きな、丸美先生である。
 小田急電鉄・小田原線、伊勢原駅下車。
 検温、35.8度。
 帰り道の食べ歩きは、新・隠れ家とする。
 イトーヨーカドー伊勢原店、食品売場で、値引きの牛丼、長崎チャンポン、コーラ(800ml)を買う。
 選択肢を絞るため値引き品とし、あと、この文の題名にするため、一品は名前入りを選んでいるのだが、名前かどうか分からないが、今回も、ブラックアンガスとする。
 電子レンジがあるので、今回も、半冷凍の、長崎チャンポンを選んでみた。
 大型スーパーに行き、入り口に顔を写すと検温できる機械があり、36.0度。
 東京の感染者335名。
 ラジオ韓国(1170kHz)・受信記録(20:00〜21:00)。玄界灘(東日本大震災から10年、ほか)。平壌は今(北朝鮮の国境封鎖。平壌の地下鉄、ほか)。SINPO=33333。
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