学生の時に照れくさくて目を見て話もできなかった人と大人になってから話をするのは、当時の若くて幼い感覚で話をするとは全然意味合いが違うんだと言われてると、本当にそうなんだろうなと思います。
当時もメールでは1日何回も話をしていたはずなのに、実際に顔を合わせるとなんかぎこちなくなる。
まぁ自分がコミュ障で、カースト上位にいた人たちにはわからない感覚かもしれませんけどね。
大人になった今なら普通に、平常心を装って振る舞えるんですけど、それじゃあ意味がない。
感性の尖った、ほんの小さいことで一喜一憂できるほど心が動いた当時だからこそ意味がある。
その話の内容に意味があろうがなかろうがそんなことは本当にどうでもいい。そのときに一緒の空間を共に過ごしたことに意味があるんです。
大人になってからもう少し早くから出会えていたらとか、子供の時に大人になってから出会っていたらとかは、意味をなさないことで、当時の感性で出会ったからこそ意味があり、大人になった今出会ったからこそ関係を築けている。
そのときどきの自分の立場や感覚がいかに大切であるのかが改めて考えさせられるなー
とそう思いました。
ちなみに前回の日記のつづきです。
でわノシ
ログインしてコメントを確認・投稿する