20代の後半、まだ独身だった時の年末を思い出そうとしたが、
全く覚えていない。
何を考えていたかさえも一切思い出せない。
一人暮らしをして、貧乏で、会社が嫌いなくせに仕事をし続けていた。
多分現場にいたのだろう。
何年もそんな年末を暮らした私も結婚して子供もできた。
それでも年末年始ともに現場にいた。
子供ができた年は、初めてそんな生活を辛く思ったものだった。
この時からはむしろ記憶は鮮明だ。
そのつらい経験を払拭できるかどうかわからないが、やたら仕事をしていた気がする。
全く評価に期待しなかったし、給与にも固執しなかったが、自分の生活や仕事の仕方を捻じ曲げる存在には常に対抗し戦っていた気がする。
生活が苦しいのは苦しく生活をしている自分が悪い、仕事場が嫌ならばやめるかその仕事場を自分の力で変えればいい。
誰かに言われたかどこかで見たかそんな言葉を知っているが、別に目標や野望があるわけではなかったので、その言葉に寄り添った。
信念などというとちょっと違う気がするので、寄り添ったと書いたが、その気で意識してはいないが、いつもこの言葉の通りに動いている。
他人のせいで人生を歩んでいないし、もし他人に関与されたら断固として拒否をする。
カッコつけているわけではなくて本当にそうなんだからしょうがない。
いま、変わったかといったら、全くだ。
全く変わっていない。
それがいいのかどうかはまだはっきりとしないが、ストレスがないことは確かだ。
目標なんか定めない。野望などは持たない。
そんなもの達成したら終わりだ。
他人に影響は受けまくる。意見もどんどん変わる。好き嫌いも変化する。
他人との関係性で態度を変える。状況で行動を変化させるし発言も変える。嘘もつくし、裏切りもするが、自分に無駄な親切もする
でも、やっぱり変わらない。
自分のための人生を誰のせいでもなく自分で判断し続けていることは常に変わらない。
誰にも迷惑はかけない。頑固ではない、たぶん偏屈でもない。
同じように思う人が少ないんだと最近とみに思う。
みんなこんな心持でいればいいのにって勝手に思う。
つまらないと言っては失礼だが
凝り固まった考え方や、目標や、野望などは捨ててしまえばいいのだ。
現在の幸せを追求しよう。そしてその幸せが続くように努力しよう。
今幸せじゃないなら悩まずに考えよう。そして行動しよう。そこに到達の目標や、野望などはいらない。
幸せかどうかだ。
漠然としてるよね。だからいいのさ。
行動している最中は途中だから悔んだりがっかりしたりする暇などないはずだ。
失敗したらまた考えればいい。そしてまた行動すればいい。
何もやらずに諦めて悩むのは不幸の最たるものだ。
ストレスなどは勝手に自分で作っているに過ぎない。
年末に考える
さて何を次はやろうか(笑)
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