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2020年12月23日22:53

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怖れることで簡単に失う自由


この世界は、冒険の場です。


冒険心を失うということは、
この世界で生きる意味を失う。
ということで、
次第次第に、自由を失っていくことになります。

幼い子供は、
純粋に、冒険心を持ってます。
何を見ても、何を感じても新鮮で、
自分の身体を使うのが楽しくて仕方ありません。

自分の生命を生き長らえなければならないことから
臆病になることもありますが、
臆病であったとしても、
幼い子供は
好奇心を失うことはありません。

ところが人は、
歳をとるごとに、
同じことの繰り返しに飽きてきて、
同じことの繰り返しに疲れてきて、
好奇心を失っていきます。

好奇心を失った大人たちは、
好奇心の消失とともに老化が進んでいきます。

将来に希望が持てない人、
将来に夢を持てない人は、
急激に老けていきます。

死にたくないとの、その恐れだけでは、
若さを維持することはできません。

むしろその恐怖が、
自分の人生を
蝕んでいることに気づけない限り、
怖れによって、
ますます自分の自由を
失っていくことになるのです。



女性が化粧をするのは、
美しく見られることで、
楽しく生きていけるから、
化粧をすることを放棄することは、
夢を見ることを諦めるということ、

自分の将来に夢と希望を持てなくなったら、
もう生きる意味はありません。
すぐそこに、死が迫ってきています。

身体が若い内は、
心が折れて、
夢や希望を持てなくなったとしても、
身体が生き長らえることを求め、
簡単に死が迫ってくるようなことはないですが、


50過ぎ、60過ぎてくと、
普段使わなくなってしまった能力は
急激に退化していくことになってます。

疲れることに喜びを見出せなければ、
身体を使うことが嫌になり、
体力は、急激に失われていき、
老化は加速していきます。

歳を重ねて、膝や、腰が痛むのは、
多くの場合、
膝や腰を支える筋肉が弱ってしまうから、

関節を支える筋肉が弱ると、
その支えがなくなり、
直接関節のヒンジに力が掛かるので
関節が悲鳴を上げることになってます。

関節が悲鳴を上げるようになると、
関節の痛みを恐れるあまり、
関節を庇って身体を動かさなくなり、
ますます筋肉は失われ、
関節の痛みの症状は悪化する道を辿ります。



私、私たちは、
冒険するために、
この世界に生まれてきました。

怖れは、冒険の友達でした。
怖れがなければ、
冒険にワクワクすることはありません。
ドキドキすることはありません。

ところが、
心が怖れに支配されてしまうと、
生きる目的を見失うことになり、
それとともに、生きる気力を失っていくのです。

自分の未来を信じることができるかどうか?
自分が体験したい未来があるか?
それが冒険を続けていられるかどうかの
カギになるのです。

怖れに支配されてしまった心は、
そういう未来を信じることはできません。
怖れに支配され、
安心できる範囲でしか行動できなくなって、
その安心できる範囲は、
また次の怖れを与えられることで、
さらにさらに安心していられる範囲が
狭められることになっていくのです。

怖れに向き合って、
覚悟を決めて、
怖れに向かい、
怖れを乗り越えて行こうとしない限り、
私、私たちの望む安心安全な世界は、
ますます狭くなっていくのです。



最後に言っとくけれど、
死の先にあるのは、
悪いことじゃないよ。
単に、「生き続けなければならない。」
その思いからの解放でしかないんだな。
これが。

だから、
死とともに冒険することは必要なくなり
解放されてしまうのさ
それが、「死」というものなのさ。

それは死んでみれば分かること。
ただ、恐れて挑戦しなかった人生では、
冒険しなかったこと、
挑戦させなかったことへの後悔は残るだろうね。

そもそも、それが人生の目的だったのに、、、

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