佐久市の刈根屋付五郎さんで、スープ成分の半分は地元旬野菜という珍しくも美味しいつけそばをいただいたのちに、
700円〜1000円くらいの食事が500円になるというちょっきり本というものに掲載された洋菓子店などが軒並み定休。
佐久市、小諸市、東御市に蹴飛ばされて、上田市にまで。
上田市の中で江戸時代の町並みを残す北国街道沿いにある喫茶「森文」さん。
呉服商の築140年の建物をリフォームして平成4年からやられている喫茶。これが大当たりでした。
店内には1920年代のアメリカの真空管ラジオが完動品で現役のほか、TANNOYのモニタースピーカーがありました。
エッジが385などの加水分解で朽ちるウレタンでないのが幸いですね。振動板もキレイです。
音楽喫茶というわけではないですが、いい空間です。
女性店員さん(68歳のマスターのお嬢さん?)は、長く勤めながら、TANNOYのスピーカーのグリルが外れることもご存知なく、はずしたらしげしげと眺めたり。
「真ん中から高音が、外から低音が、下の穴から低音が出るんですよ!」と解説すると、耳をそちらに近づけて確認されました。
アンプ類ともども昭和の自分の中高をそのまま現代です。それもどれも完動品として。
インターネットラジオからジャズが流れていましたが、嫌な音は一切なく、環境にじっくり馴染んだ音でした。
ケーキもマスターの自家製で木イチゴの酸味がアクセント。珈琲も美味しかったです。
OTAI AUDIOの店主がTANNOY本社と工場を訪問されたときのレポートによると以下のようです。
TANNOYの創始者はガイ・ルパート・ファウンテン(Guy Rupert Fountain 1901年-1977年12月10日)という方です。
当初はマイクを作ったり、サーカスのPA装置を作っていたそうです。
また1940年代には戦時中の音響設備などを作成していたようです。
創始者のガイはアイデアマンだったようで、スピーカーなどにTANNOYの文字をプリントしたのです。
すると、それが定着して、TANNOYといえばスピーカーという形で大英辞典にまで掲載されたのです。
1947年には同軸の2WAYが誕生しました。
デュアルコンセントリックです。
これによりTANNNOYはスピーカーメーカーとして大いに飛躍したとのことです。
ちょうどTANNOYのモニタースピーカーでしたので、歴史を復習します。
輸入元のTANNOYスターリングをご自宅でお使いのTEAC、ESOTERICの町田部長によると以下のようです。
マイケルジャクソンのスリラーでお馴染みマスタリングエンジニアのバーニー・グランドマンはTANNOYでモニターしているそうです。そのほかにもピンク・フロイドの狂気を録音した当時のEMIレコーディングスタジオ(現アビーロードスタジオ)の1番スタジオで、モニターとして<Lancaster 15inch>が使われていたり。
これに限らず、1947年に出た同軸一号機がBBCに採用されたり、51年にデッカの録音スタジオに入ったりと、これをモニターにして録音された作品というのはとても多いと思います。70年代にはアメリカのスタジオモニター市場のシェアの7割を持っていたと聞いています。
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