mixiユーザー(id:5089039)

2020年11月26日17:22

181 view

青山俊董氏「渡辺和子先生から学んだもの」


青山俊董氏(愛知専門尼僧堂堂長)が、渡辺和子先生について次のように話されていました。・・・「やすらぎ通信2017年春夏号」(ユーキャン出版事業部)…

大晦日の朝、シスター渡辺和子先生の逝去の報に接し、思わず耳を疑った。
・・・中略・・・
和子先生からの学びはたくさんあるが、一つ二つだけ、報恩の思いを込めて紹介しよう。
アメリカで修練女としての訓練を受けておられたときのこと。そのときの配役は配膳係であったよし。「こんなつまらない仕事」と思いつつ皿を並べていた。後方から修練長の声がかかった。

「シスター、どういう気持ちで皿を並べていますか?」と。
「いえ、別に」とは答えたものの体がしゃべっていたのであろう。「つまらない、つまらない」と。

修練長は言った。
「シスターは時間を無駄に過ごしております。同じ皿を並べるのなら、やがてそこにお座りになるお一人お一人の幸せを祈りながら並べたらどうですか?」と。
この話を紹介されたあと、和子先生は次のような言葉を添えられた。
「つまらない、つまらないと思って並べても皿は並ぶ。ロボットが並べても皿は並ぶ。お幸せに祈りながら並べても皿は並ぶ。
つまらないと思って皿を並べたら、かけがえのない命をつまらなく使ったことになり、ロボットのような並べ方をしたら、かけがえのない命をむなしく過ごしたことになり、お幸せにと祈りながら並べたら、かけがえのない命を愛と祈りに使ったことになる。
その祈りが、やがてその席に座る方にとどくかとどかないかはどうでもよろしい。
時間の使い方は命の使い方です。世に雑用はありません。用を雑にしたとき、雑用が生まれるのです」。
・・・中略・・・

またある時、こんなことを語られた。
「不機嫌な顔をして歩いているだけで、環境破壊もはなはだしい。ダイオキシンをふりまいて歩いているようなものだ」と。
・・・中略・・・

すべての人が1日24時間、1年365日の時間という財産を全く平等にいただいている。その時間をどう生きるか。その一つ一つが一点のごまかしもなく、眼に見えない彫刻刀となって人格を刻みつづけ、その総決算が今のお互いの姿である。同時にそのときの心のもち方もさらにプラスアルファされ、その姿を見ただけで心が安らかになったり、反対にいらいらしたりする。

和子先生は常にしずかな深いほほえみをたたえておられた。シスターとお会いするたびに、お話を聞くたびに「真理は一つ、切口の違いで争わねぬ」と語られた師のお言葉を思ったことである。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する