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2020年11月26日12:12

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悲観主義は気分 楽観主義は意思

 
青山俊董さんの「生かされ 生かして 生きる」(春秋社)に、次のような文章がありました。 (青山俊董さんは曹洞宗の尼僧。愛知専門尼僧堂堂長です)

ある小学校の子どもの詩。
「せまいな、せまいな」
と言って、みんな遊んでいる。
朝会のとき、石を拾わされると、
「広いな、広いな」
と言って、石をひろっている。


同じ運動場でも、気分次第で広くなったり、狭くなったりします。かけがえのない自分の人生を、気分中心にまかせていると、悔いが残るだけでしょう。

フランスの哲学者アランは次のように言っています。
「洗練された表現を使えば、悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」

私たちは、ともすれば「今日も嫌だなあ」「今日もろくなことがなかった」「雨がよく降り、うっとうしい」等々、否定的、悲観的な気分(感情)になりがちであり、また、その気分を言葉に出そうとします。

心理学者のジョゼフ・マーフィーによれば、人はほっておくと、9割までが消極的な気分や否定的な気分になりやすいと言います。言葉や思いが人生を作っていく以上、消極的な気分や、否定的な気分(感情)が、言葉となり行動となれば、明日の人生が明るく開けるはずはありません。

ある人によれば、人は1日に平均5万もの考えを頭に浮かべると言われる。凄い数だが、残念ながら多くは否定的(怒り、不安、悲観、欲求不満、憂鬱) になりがちだというのです。

気分はその時その時次第で、移り変わりやすいものです。そのうえマイナス発想になりがちです。そうした気分に支配されないプラス発想の生き方は、その人の意志(理性)の力によって、はじめて可能になります。

言葉は言霊(ことだま)です。明日を作る大きなエネルギーをもっています。問題は、これからの人生を決め、大きなエネルギーをもつ言霊を、気分(感情)を中心にして使うか、自分の強い意志(理性)によって使っていくか、にあると思います。

私たちは現実の中でさまざまな刺激を受けています。刺激を受けると感情が生じ、その感情(=気分)は必ず快、不快に転じます。快・不快が生じるのは本能的で、自動的ですから、人間は選択できません。
しかし、その感情をプラスにするか、マイナスにするかは、自分で選択できます。それは意志の力を働かすかどうかです。



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