<原文>
飽くまで食らいて日を終え、心を用いる所なし。難いかな。
博奕(はくえき)なる者あらずや。
これを為すは猶お已むに賢(まさ)れり。
・・・・陽貨篇
<現代語訳>
食べてばかりで何もにもせず、心を動かすことなく一日を過ごしてしまう人があります。こまったものです。そんな人はなぜかけごとをしないのだろう。そのほうが何もしないでいるよりずっといいのに。
※博奕・・・博はすごろく、奕は囲碁のこと。
<解 説>
これは孔子が、何もしようとしない弟子に対していった独り言です。
何もやる気のないように見える人でも、実際は何か好きなものがあるはずです。それはゲームでもスポーツでも何でもいいのです。大切なのは心。わくわくさせることなのです。
論語は学ぶことの大切さを説いていう本ですが、学びというのは単語を覚えたり数式をおぼえたりすることだけではありません。
「何もやる気が出ないな」と思っているのなら、心をわくわくさせるような何かを見つけてみたらいかがでしょうか。そんなことを探すのも学びの一つなのです。
以上、井出元「論語にまなぶ人間の品位」より。
<村岡満義解説>
孔子は「たらふくごちそうを食って、一日何の心を用いることもない生活を送っているようでは、とうてい世の中に処していくことは困難である。世間には、すごろくや囲碁をして遊ぶ方法もあるでrはないか。この遊びかたでもやっている方が、まだましである言われました。
アメリカの医学博士ハリー・ジョンソン氏が、こんなことを書いています。「最近、私のところへ非常に疲労すると訴えてきた男があった。診察の結果、健康状態はしごく上等であった。それでも彼は麻起床したときから体を動かすの大儀なほど、くたびれた感じがすると言うのだ。いろいろ聞いてみると、彼はある事業に成功し、それをいい値段で他人に売り渡し、今では顧問として、一生困らない収入を保証されているということだった。年は、まだ45歳で夫婦の中もいいと言う。それで私が、「たいがいの人は、あなたのような身の上をうらやましいと思いますよ」と言うと、彼は吐き出すように、「いつで代わってあげますよ。私はうんざりですよ」と言った。そこで私は、「何かほかにやってみたい仕事はありませんか」とたずねてみると、彼ははじめて目を輝かせて、革命的な新しい製品についての着想をまくしたてた。
この人は結局、新しい会社をつくった。それから6か月くらいたったころ、私のところに電話をかけてきた。そして彼が、「すごく忙しいんですよ。この仕事が引き合うかどうかは、まだ見当はつきませんがね」と言うので、私が、「そんなに忙しかったら、ずいぶんお疲れになるでしょうね」とたずねると、彼は「とんでもない。もう全然疲れたりはしませんよ」という答えだった。この人は、明らかに新しい仕事の刺激だけで、それまで持っていたにせの疲労感から抜け出せたのである。
今日の文明は、歴史上最もすすんだものであり、かつて例を見ない高い生活水準を達成したが、同時に退屈しきった無感動な世代を産み出した。われわえ人間はこんなときに娯楽を求めるが、しかし何を見ても退屈してしまう」と言っています。
また、ほかのアメリカの学者は、人間の長寿のための健康法として最も大事な条件の一つに頭脳を使う、すなわち心を用いる必要を強調しています。
私たちは、なるべく世のためになることに心を用いるよう担いたいものです。
以上、村岡満義「わあたしと論語300選」より。
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