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2020年11月03日12:45

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バガヴァッド・ギーター第2章61 



★ギーター/2-61

(長谷川訳)・・・修行者はヨーガによって、全ての感覚器官を統御し、私自身(神)に心を留めよ。感覚器官を統御し得た者の叡智は、揺るぎなきものとなる。
(田中訳)・・・・肉体の感覚を制御して、意識をわたしに合致させて、しっかりと固定できた人を、不動智を得た聖者と呼ぶ。

。。

(長谷川解説)
感覚器官の働きは外向性なので、それらは各々の対象に向かって直進する。しかし、人がどんなに努力しても、その感覚器官への追走によって、決して完全な平安も満足も得ることはできないであろう。世俗の快楽に失望して、結局、人は自分の内面に向かわなければならない。我々の内部にこそ、限りない平安と比類なき喜びの源があるのだ。我々が自分の内にある、その源泉に到達しないかぎり、我々の心は平安と喜びの探索にさ迷いつづけるだけである。この詩句での「私自身に」は「パラマートマ(神)に」の意味である。人は自分の個別意識を宇宙意識に出会わせる時こそ、十全な平安と喜びを得る。そして彼の叡智は、揺るぎないものとなる。



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