『健全な自己否定』
「自己肯定感」という言葉を、
この頃よく聞きます。
コロナ禍の中で、変化した生活に適応できず、
自分に自信を持てなくなっている人が増えている、
という事でしょうか。
ネットのニュース等で、
良くこの言葉が出ているように思います。
そして、自己肯定感が低い、という人が、
そんな自分を変えようとするため、
自己肯定感を高める方法が、
あちこちで紹介されています。
運動をするとか、日記をつけるとか、
ネガティブな言葉をポジティブに言い替えるとか、
自己肯定感を高めるためのノウハウが、
いろいろとあるようです。
自己肯定感を高めようとする取り組みは、
それはそれで意味のあることだと思います。
私も、どこかの精神科医の話の受け売りで、
脳の衰え防止のために運動をするとか、
寝る前に一日の良かったことを日記に書くとか、
今年はそんな事を続けています。
そしてその結果、
とても調子よく過ごせていると思います。
しかし、ひとつこの頃思うのは、
自己肯定感を高めるという事自体、
自己肯定感が低いと評価している、
自分自身を否定することだ、という事です。
自分を好きにならなきゃ、と思っている自分は、
自分を好きにならなきゃならないと思っている訳で、
つまり、自分が嫌いなのです。
自分が嫌い、という事をベースに置いている限り、
いくら自分を好きにならなきゃと努力しても、
自分が嫌いである事から抜け出せないのです。
そこで私が思うのは、
だったら最初はとりあえず、
自分が嫌いでいいじゃないか、
という事です。
自分を卑下するとか、歪んだ形で、
マイナスの自己像を持つ必要はないのです。
つまり、健全な自己否定、
という事ができればいいのです。
聖書によれば、
人間は生まれながらに「罪人」です。
自分の罪を認め、罪人という自己認識を持つ、
という事が、
聖書の中では正しい事なのです。
しかしそれは、自己肯定感を持つな、
という事を言っているのではないのです。
人間は皆、生まれながらに罪人で、
みじめで卑しい存在だけど、
そんな自分を神様は愛してくれていて、
神様がOKと認めてくれるから、
自分を自分でOKと思える、というのが、
人が人らしくいられる、
最適な自己理解なのです。
自己肯定感が低いとしても、
そんな自分を自分でOKと思う事は、
いろいろ頑張っても、実はできない事です。
しかし、神様を認め、神様との関係の中で、
自分をOKと思う事ができれば、
自己肯定感が低いとしても、
明るく元気に生きられるのだと思います。
神様が愛してくれている、この自分自身を、
神様の創られた最高傑作として、
大切に思うことができるのです。
是非最寄りのキリスト教会にご連絡下さい。
きっと良い出会いがあります。
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