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2020年09月30日10:18

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「目的主義」の時代 3

さて、議会制民主主義に代わる新しい思想という話が、
精神性についての深いところの話に
なっていってしまいました。

そもそも
「民主主義」に換わるとしている「目的主義」は、
生き方の指標であり、迷った時、行き詰まった時、
どう解決したら良いか?
を導き出すための考え方から来ています。

あらゆることには「目的」があって、
自分の目的を意識して、
お互いの目的を一致させることで、
目的を達成し、幸せを得る。
というのが「目的主義」を抱いて生きる基本姿勢です。

原因や、過去の因果に触れる必要はありません。
現在の状況の中で、
どのようにしたら、自分の目的と相手の目的を一致させ、
同じ目標を持って、建設的にやっていけるか?
がテーマなのです。

そういう風に書くと、
「議会制民主主義」に代わる新しい思想
という趣きを呈してくるでしょ?。

二つの全く違うように見える考えを、
どうやって調整するか?
が、議論になった時の最大の課題です。
現在は、声が大きかったり、力が強い人の意見が通る時代です。
そのような時に、私は、
「目的を精査しようよ。」と提案します。

議論し始める上で最初にしなければならないのは、
一人一人の目的を明確にすることです。
その目的が競合しているとしたら、
何を話し合ったとしても
対立が生まれることは間違いありません。

例えば、ヒットラーのように優生主義を唱えられたら、
ユダヤの人々と手を組むことができません。
多分、優生主義は「生きる目的」の枠外になるはずなのです。

お互いの目的において、
協力し会える要素を見つけることから始めるのが、
話し合いの第一歩です。

いきなり問題の核心の、
「どちらを選ぶか?」で話し合おうとすると、
ほぼ間違いなく対立します。
しかしお互いの大きな枠の共通項から
同じ目標となるものを見つけていくことをしていき、
そのことのために協力し合うためにはどんな手があるか?
という話し合いならば、
必ず、お互いが納得する「共通の目標地点」
を見つけることができます。
もし、見つけられない時は、
より広いお互いの認識だ一致する「人生の目的」にまで
常に戻れるようにしておくことで、
争うのは「人生の目的」に反するってことになり、
大概の場合、というより、必ず、
細部では言い争うことになったとしても、
大枠においては同じ目標を持てるはずなのです。
そのために。まず、大前提となる
それぞれの「生きる目的」を俎上にあげることです。

そして、お互いの「生きる目的」を
最大限に活かす方策を見つけるのです。

片方の主張が相手の「生きる目的」を阻害するとしたら、
それは考え直してもらわないとならないとは思います。
それは、相手側の「生きる目的」を潰してまで
実現しなければならないことなのか?
自分と協力関係を取り付けたいと言っている相手を、
自分の神の名において切り捨てることができるのか?
真剣に悩んでもらう必要があります。

おそらく、争いが生まれるとしたら、
各論、方法論に入った時です。
大きな目的は「いっしょに幸せな時代を過ごそうね。」だったとしても、
私は「〇〇が邪魔なんだ!」
私は「XXが嫌い!」という各論がいきなり出てくると、
「生きる目的」で目的を一致させたとしても、
共通の目標を得るというところにはたどり着けません。

一致させることができない段階になったら、
一旦、お互いに引き、
お互いの目的を満たす目標はどこに置いたら良いか、
持ち帰って頭を冷やし、考える時間を設けます。

人には、他者をいたわり、ねぎらう気持ちが必ずあります。
一時的に、各論では目標を一致させることができなかったとしても、
もう一歩引いた総論で一致させることができるとしたら、
それをベースにして、
お互いが満足できる接点を見出す努力をお互いにすれば良いのです。
そうしている内に各論の気にしていた問題は、
より大切な目標を手にするために、
気にならない程度の問題と、目に映るようになっていき、
より協力し会える関係が築かれていくはずです。

   大方の、各論の不一致は、
   相手を信用できないことから生じています。
   他者を信用できないと、人は欲張りになるのです。
   だから、金持ちほど、他人を信用できず、
   ますます強欲になってしまうのです。
   ロシアが北方領土を返さなかった理由もそこにあります。
   返したその土地に、
   いきなりアメリカの基地ができたら敵わない。
   で、交渉の門戸が閉じられました。

もう一つ、対立を生む障害があります。
それは、「正しさ」が持ち出された時でしょう。
目的主義においては
「正しさ」が最大の障害になるかもしれません。

それぞれの人々が、
親や教育の場で教えられてきた思い込みによる教えに染まっています。
同じ教えから始まった宗教が分裂するのも「正しさによる対立」です。
この「正しさ」の思い込みを解くのは容易ではありません。

その場合には、共通の目標に立ち返り、
協力し合えるようにお互いの生きる目的から、
お互いに納得し会える目標と、
より大きなところから協力し合えることを確認して行って、
各論については自由に任せる
くらいの度量が持てることが重要です。

おそらく対立して、殺し合うことは、
お互いの生きる目的、大きな目標には
出てこないことのはずです。
そうやって、大きな共通する目標から、
各論においても共通する目標を見つけて行って、
最大限協力し合うことで未来を築こうとするのが
「目的主義」です。

目的主義をお互いの土台思想として話し合うようになっていくと、
たびたび、面白いことが起こるようになっていきます。

それは、最初は「異端のとんでもない考え」とされていたことが、
それぞれの人の「幸せに生きる。」という目標に省みた時、
少しずつ浸透して行って、
主流の考え主張となっていくことが有り得るからです。

なぜかというと、正しさは、
「幸せに生きる。」ための手段であって、
「幸せに生きる。」ための目的ではないからです。

思い込みの外にある考え方は、当初は否定されるのですが、
それぞれが、共通の目的共通の目標を持って時間をかけて、
改めて何度も、何度も、考えていくと、
これまで異端の考えの方がお互いの目標を
繋げることができることに
気づいたりすることになるのです。

ゆっくり時間をかけて、
お互いの目標に対して
最大限の効果を上げる方法こそが
目的に適っているのだったら、
最初は小さな声であったにしても、
優先されていくようになるのです。
それが、「目的主義」の醍醐味です。

「民主主義」では実現できなかった少数意見の尊重が、
「目的主義」ではなんの違和感もなく実現してしまいます。

この世に生を受ける総ての人、命の
目的に適った社会、世界を作ることが「目的主義」の目標です。
それができるようにするのは
「目的主義」を土台とした議論ができるように、
まず、自分がなることです。

どんな信条を持っていても構いませんが、
話し合いにおいては、
お互いの「生きる目的」を俎上にあげて、
共通の大きな目的から認識し合い、
共通の目標を掲げることで、
協力し合いながら、各論の方法において、
最大限お互いの目的を叶え、
目標を達成できるよう話し合う。
というのが「目的主義」です。

いかがでしょうか?
誰もが、自分の人生の目的を生きて行けるように、
あなたも、目的主義の時代の一員になっていただけないでしょうか?

水と油も、
犬と猿も、
それぞれが活かせる場があり、
上手くすると、混じり合うこともあるのです。

自分の「生きる目的」を認識し、
自分が無意識にしてしまっている行動の目的を意識化しすることで
自分自身の「人生の目的」を満足させ、
あらゆる起こることに目的を見出し、
その目的をも満足させながら、
より豊かに生きていくのが、
「目的主義の時代」の生き方です。
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