mixiユーザー(id:3910831)

2020年09月04日11:26

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世のすべての人は障害者!

私は自分がADHDという障害を負っていることを、
人生を大分過ごした後で知ることになりました。

ただ、その予感は、大分前から持っていました。

私はかれこれ、20年ほど前に、
知的障害者の作業所で仕事をしたことがあります。
そこで、障害を持つ仲間と関わり合う中で、
人は誰でも多かれ少なかれ障害を負って生きているんではないかと
思い至りました。
だからこそ、私にとって彼らは「仲間」だったのです。

ちなみに、彼らの仲間として付き合う私は人気者だったよ。
多くの人は、彼らを指導する立場として関わってたからね。

健常者と言われる人たち。
私から言わせると、障害者です。
大概は、恐怖という妄想に囚われた障害者です。

「恐怖を捨てなさい。」と言っていた有名な人は、
イエスキリストさんです。
私からすると、彼は神様と言うよりも、
数少ない健常者だったというのが印象です。

恐怖を負う発端になっているのは、
「教育」だったりしているのですが、
それによって、物事を冷静に見ることができなくなり、
恐怖を煽るものに利用され、
自分が意図しない、あらぬ方向に
人生を追い込んでいくことになります。

身体的な障害など、
私からすれば大した障害ではありません。
なぜかというと、身体的な障害があったとしても、
いくらでも幸せに過ごすことができるからです。

問題は、自分は健常者だと思っている人の、
恐怖によって生み出された障害です。
この障害が大きければ大きいほど、
幸せな人生と縁遠くなります。

恐怖に苛まれた人は、
常に正しい生き方をしよう、させようと奔走します。
自分がしようとしているだけの内は、
自分が不幸になるだけで済みますが、
他人を正そうとし始めると、
他人も不幸に巻き込むことになります。
自分が健常者だと思っているだけに、
厄介なのです。

私は、ADHDという障害を負って生きてこれたことを、
とっても幸運だったと思っています。
この障害によって、人生の中で
出来ないことに一杯ぶつかり、
色々苦しみ悩みました。
人に馬鹿にされ、非難され、蔑まれることも経験しました。
と同時に、多くの人が、
なんでこんな簡単なことも理解できないのかと、
不思議に思うことも沢山ありました。

その経験があって、
今の私がここにいます。
なんでも出来てしまう私だったとしたら、
弱い人、マイノリティな人々への労りの想いは
養われることはなかったでしょう。

「障害は、この世界を楽しむためのエッセンス」
これは、私が人生の中で体得した障害に対する理解です。

障害を持っている人は
それに抗い、それがあっても幸せに生きていけるだけの
強い精神を持った魂です。

ダニエル・キッシュさんは、
視力がなかったとしても、
その代替方法として、吃音を発っし、
その反射音を耳で捉えることで
この世界を立体的に把握することに成功しました。

バーバラ・アロースミス=ヤングさんは、
傷ついていた脳機能を鍛錬することで、
これまで理解できなかったことが理解できるようになりました。
どちらも強い精神だあって初めて成し遂げられることです。
今自分が抱えている様々な障害課題は
解決されるためにここにあります。
それを乗り越得るために、すったもんだするその時間こそが、
神様が与えてくれた幸せな時間だと思います。
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