『電気について』
二年前の大地震の際、
北海道中が停電になりました。
その時身に滲みて感じたのは、
電気がないと生活が立ち行かないくらい、
私たちの生活は電気に依存している、
という事でした。
また、地震という不慮の事が一瞬起こるだけで、
北海道中の電気が消えてしまうくらい、
電気って案外脆いものだ、
という事も思いました。
ところで、
今年はコロナウィルスの影響で、
随分、「オンライン」という事が、
もてはやされています。
人と接触できない代わりに、
テレビ電話を使ってコミュニケーションをする、
という事が推奨されています。
それに加えて、
随分、キャッシュレス決済、
という事も言われるようになりました。
お金に直接触れると、
そこから感染が広がるという事でしょうか。
いずれにしても、
オンラインとか、キャッシュレス決済とか、
推奨されるものはことごとく、
電気を使います。
電気を使える時代の恩恵、と言ってしまえば、
そういうことかもしれません。
しかし、二年前の停電を体験して思うのは、
今でこそ、電気に頼りすぎて、
その電気が突然使えなくなって大混乱したのに、
更に電気に頼る事となると、
その混乱の振れ幅はますます大きくなるだろう、
という事です。
発電所が作られ、電気が各家庭に送られる、
という仕組みが作られたのは、
十九世紀末に、
エジソンが白熱電球を発明したのがきっかけです。
それまで人類は、
電気がない生活の方が当たり前だったのです。
電気がなくても、
人間は生きていけるようにできています。
感染症が拡大する、という非常時の中で、
生活を維持するために電気を使用することは、
やむを得ないのかもしれません。
しかし、電気の利用を前提とした、
生活の「スマート化」ばかりが推奨される流れに、
微妙な不自然さを感じます。
聖書は偽りなき神の言葉として、
電気のない時代にも、人力によって忠実に写本され、
正確な内容を、今の時代にも読むことが出来ます。
世の中は移ろい行き、
季節が変わり、時代が変わっても、
神の言葉は永遠に立つ、という事が、
聖書の中に記されています。
電気は私たちの暮らしを豊かにし、
暗闇を煌々と照らしますが、
私たちの人生を真実に導いてくれるのは、
やはり神様の光なのだろう、
という事を思います。
人生に本質的に必要な光は、
神様が与えて下さります。
是非最寄りのキリスト教会にご連絡ください。
きっと良い出会いがあります。
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