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2020年08月19日15:23

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繰り返す歴史、露認識は甚だ迂闊 青学・新潟県立大学名誉教授 袴田茂樹

 下記は、2020.8.19 付の 正論 です。

                記

 ≪戦後75年と日本人の国際認識≫

 戦後75年は、わが生涯でもある。その間、国際政治の研究者としてソ連や米国で数年生活し、多くの国を訪問して政治家、専門家や市民たちと交流した。その体験を基に、日本政治の特質や日本人の思考法につき私見を述べたい。勿論(もちろん)個人は千差万別で「日本人」なる実体はなく、わが国民や政治家の一般的傾向と解して頂(いただ)きたい。私は、日本の指導者、多くのマスコミ人や専門家の対露認識には、強い危機感を抱いている。

 戦後75年は、冷戦期と冷戦後に大別できる。冷戦期に、日本は安全保障という主権国家の根幹部分を米国に委ねた結果、独立国としての基本的な政治認識を国民が持つ機会を失った。教育においても国家、権力、軍は基本的人権と対立する「悪」とされた。私も学生時代には諸外国の文学や思想を漁(あさ)って「コスモポリタン」を自認していた。1964年の東京オリンピックの時は大学生だったが、「日本人として日本選手を応援する」ことに違和感を覚え、競技のテレビも見なかった。私はかなりリアリスト的だったが、それでも国民意識は薄かったのだ。今は日本選手を素直に応援しているが。

 67年から、ブレジネフ時代のソ連の大学院に5年留学した。ソ連は共産党独裁の国家主義の権化のような国だった。社会主義国は何(いず)れも、国家や国境は絶対的で、ベルリンの壁が示すように密出入国は警備隊に殺されても当然の行為だった。この超国家主義には強烈なカルチャーショックを受けた。

 しかし暫(しばら)くソ連生活を経験する中で、社会の全く別の側面も見えてきた。ソ連社会はG・オーウェルが『1984年』で描いたような、共産党に管理し尽くされた社会の正反対で、国民は「法とか規則は潜(くぐ)り抜けて生きるのが生活の知恵」と心得て、よく言えば「自由」、有体(ありてい)に言えば勝手放題の生き方をしていた。

 ソ連人と比べると、伝統の共同体的規律に律儀な日本人の生活の方がはるかに「社会主義的」と見えたほどだ。ソ連国民は勝手放題だからこそ過剰な統制が必要で、だから庶民はそれを潜るという悪循環社会だった。

 ≪裏切られてきた理想論≫

 最近話題の英記者著『KGBの男』は読ませる本だ。ただその中に「ブレジネフの硬直した共産主義時代は監視、密告社会で…夜は恐怖に震え、日中は体制支持の振りを必死にするのがソ連国民の恒久的状態」とあるが、全くの誤認だ。露人が法や規則を潜るのは、帝政時代、ソ連時代も今日も変わらない。プーチン時代も強権的な権威主義国家に先祖返りしているが、以下は最近の露の小話だ。

 「露人が同一国民としての連帯意識を何よりも強く持つ時がある。それは、地下鉄内で『乗車できるのはマスク着用者のみです』と放送された時、周りにマスク姿が誰も見えない時だ」

 わが国では罰則もないのに電車内もスーパーでも皆がマスク着用だ。露のように罰則を伴う非常事態法がないのに、人口当たりの新型コロナ感染者が日本は露より桁違いに少ないのも偶然ではない。

 先走りしたが、90年前後、冷戦が終焉(しゅうえん)し、ソ連邦や社会主義陣営も崩壊した。幸か不幸か、当時は「グローバル主義」全盛の時代で、92年のマーストリヒト条約による欧州連合(EU)がそれを象徴した。「自由と民主主義が今後は世界に広がり、安全保障の脅威はなくなり、21世紀には国民国家とか国家主権、国境、領土そして外交なども博物館行きとなる。ロシアや中国は帝国主義の野心を放棄した」との理想論が一般化した。私の勤めていた大学の国際学部にも「グローバル・ガバナンス」コースができた。

 ≪現実的な認識を失うな≫

 しかし現実は、南シナ海、東シナ海そしてEUそのものが、理想とは正反対の方向に向かっているのは説明不要だろう。国家、国境、領海はよりリアルになってきた。にもかかわらず、日本国民は国際情勢や国家に対する現実的な認識を失ったままだ。自衛隊を国防軍と言うのは、ましてや憲法に書くのは今でもタブーだ。クラウゼヴィッツの有名な言葉を捻(ひね)ると「(国際)政治は他の手段による戦争」が今も現実であり、この認識を有してこその平和なのだが。

 多くの日本人が露について理解していないことがある。それは、プーチン大統領も典型的な露人として、「国際法とか条約などは潜り抜けるのが、また利用できる時には最大限利用するのが政治の知恵」と心得ていることだ。「平和条約交渉」の疑似餌は利用できる場合は最大限利用する。

 しかし、2島といえど返還の意図は全くない。経済協力や善隣条約などで信頼関係を深めれば露が譲歩すると考えるのは、あまりにもナイーブだ。日本政府は敗戦直前に、スターリンに甘い幻想を抱き、日米和平の仲介を依頼しようとした。当時の東郷茂徳外相が後に「ソ連側の意図を想像し得なかったのは甚だ迂闊(うかつ)だった」と手記で述べたのを想起させる。戦後75年、歴史は繰り返す。(はかまだ しげき)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200819/0001.html
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