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2020年08月15日19:38

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【2020年8月15日12時過ぎの空】

今日は75年目の終戦記念日。
その間、日本は戦争を経験しないですんだ。私は母として、自分の子供が人から殺されたくないし、殺すような真似もしてほしくない。それよりもせっかく授かった命、大事にして欲しい。

両親に聞きました。玉音放送をどこで聞いて、どう思ったのか?
父は家で祖父母と両親、弟妹と、ラジオで聞いた。
『これで戦争が終わったと思った。同時に悔しかった。だから戦後、大学を出てカナダ人の経営する会社に勤めた。そこで、アメリカの技術を学んで、日本が負けた理由を知りたい。』
理由がわかったのか聞きました。
『小さな島国の日本は【井の中の蛙】だったのだ。知識は大事だと思った。』
母は『家の中で両親、祖父母、弟たち皆で聞いた。』『ああ、戦争が終わったんだ』暫く放心状態で、空っぽになった。
両親のそれぞれの家族の中は、戦争に行った人もなく恵まれていた。近所の家では誰かが亡くなっていた。
私の両親は同じように思っていた。【恵まれていて申し訳ない】

さて、前の原爆の日の日記で書きましたが、夏休みの宿題(戦争について祖父母に聞いてくる)を9月に入って、発表する時が来ました。
まず先生は、戦争中兄たちの出征を見送り、服を繕い、家事一切を叔母に教わった。というのも、先生のお母様は先生が小さい時に亡くなっていたそうで、お父様が明治の方なので、女性は家でいるものと言われ、裁縫ばかりしていたそうです。しかしある日仏壇のお皿が真っ二つに割れて、びっくりした。その数日後に一番上のお兄様が硫黄島で亡くなり、戦後お骨箱が帰って来たそうです。あまりに軽くカラカラとしか音がしないので、開けたら・・・
石が一つ入っていたそうです。
すぐ上のお兄様は、特攻隊として亡くなったそうです。
どこでどのように亡くなったのかもわからず、ただ紙切れ1枚に戦死したことだけが書いてあった。遺骨もなかった。
泣くこともできなかった。そう聞いたのを覚えています。
先生は戦後に教師になり、結婚をして子供を2人産んだとき、叔母たちが育ててくれて、援助してくれた。
教師の仕事ができることを感謝したと言ってました。

今の世の中では聞くこともない話です。

校長先生も話してくださいました。戦争で台湾にいて、日本が負けたことを知った。終戦後、台湾で山の中をうろついていた、村の人が食料や水を分けてくれた。ありがたかった。本当なら憎まれて当たり前なのに。やっと引き上げ船で帰ってきた。
教師として、必ずこのことを伝えようと思った。

今、平和であることは多くの人の犠牲の上にあるのです。
だから今生きている私たちは、命の尊さを知らないといけない。
でも、世界の中では今でも、戦争で多く人が亡くなっている。
空が繋がっているように、平和も繋がるといいな。
二度と戦争のない世の中が来ることを祈って。

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