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2020年06月08日23:41

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スカラーソング(学生節)

スカラーソングという唄がある。
スカラーといのはスクールがなまったモノで、別名は学生節。
滝廉太郎の箱根八里の替歌で
演歌師神長瞭月が、ハイカラ節を作った同じころ、明治42年に作られた。
桜井師は、この唄は大道で客集めをする時に唄っていた、そうだ。
なお、唄の中のアンパンが2銭というのは大正6年から12年までとの事。

しばらくスカラーソング唄ってないなと思い、久しぶりに唄ってみた。
歌詞が多くてテンポが速く、忙しい唄である。
練習不足で口はよく回らないし、ヴァイオリン弾くのが大変だったが、
何とか3番まで唄ってみた。
1.
なんだ神田の神田橋、朝の五時ごろ見渡せば
破れた洋服に弁当箱さげて てくてく歩きの月給とりや九円(食えん) 
自動車飛ばせる紳士を眺め ホロリホロリと泣き出す、
神よ仏よよく聞きたまえ 
天保時代の武士 (もののふ)も 今じゃ哀れなこの姿 
家(うち)では山ノ神が 麻糸つないで2銭取る(※ボタンかがりの手内職)
十四の娘はタバコの工場(こうば)へ においはすれどもキザミも吸えない
いつでもお金は内務省よ、 かくこそあるなれ 生存競争の活舞台(かつぶだい)
2.
金こそ無けれ天下の士 断食するもものならず 
一銭ありゃ焼き芋 二銭ありゃアンパン
前歯でかじり後(しり)えにさぐる 雲か山か踏み破る 
おなかは鞭声しくしく 土よりも真っ黒な木綿の破れ衣(きぬ) 
小倉の白袴は垢でなめらか 一厘に買うや買わずの 
薄っぺらなる薩摩下駄  帝都に旅する豪気な書生は 
大道は狭しと肩で風切り  下宿屋の四畳半じゃ天下を論ずる
かくこそあるなり 二十世紀の芋書生

都に名高き須田町の 電車通りを眺むれば
今は昔 武蔵が原の 面影いづこ ベルの音高く
走れる電車の割引乗らんと 喧嘩腰の労働者
田舎の田吾作親爺が 赤いケットル ぐるぐる巻いて
おらㇵの行くとかァ どこだんべ
杢兵衛さんよ 早く来さっせ ブン乗りはぐれちゃ 大変(ていへん)だ
生き馬の目をぬく 東京ちゅうは 大道歩くも 電車に乗るも 
命があぶねえ 気をつけさっせ
おらハァぶったまげただよ 二十二型の時計が無ェ

スカラーソング(学生節)明治42年 神長瞭月作詞 滝廉太郎作曲
https://youtu.be/cv5cwKd0qlA

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