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2020年05月02日06:02

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キリシタン紀行 森本季子ー110 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー74
白い碑は上部が丸くつき抜けた文字のない石である。「島尾敏雄 文学碑」と二段に横書きした黒い石がわきに据えられている。作品より抜粋した章句を刻んだ石板が背後にある。その一つにこうある。
月の光を浴びて、自殺艇乗組員たちが、整備隊員や学機雷兵の   協力で、此の月夜の下の南海の果てを乗り行く自分の艇をみがいていた。
やがて各艇隊とも整備の終了したことを届けて来た。
月も中天に昇った。
もう発進の下令を待つばかりだ。
不思議にこの世の執着を喪失してしまった。(「出孤島記」より
 この呑之浦部隊に「特攻戦は発令され、死を覚悟して発進の合図を待っていた」時の情景である。発進の下令はついに無かった。終戦が隊員を死の呪縛から解放し、この特攻隊から一人の死者も出さずに済んだ。
 狭い入江の水をはさんだ対岸には崖が迫り、青黒く樹木が覆っている。そのすそに、更に暗く陰の濃い部分が数ヵ所見分けられる。震洋艇秘匿格納庫だった場所だ。
 私は大島からの帰途、はからずも鹿児島県知覧の陸軍特攻隊基地に立ち寄ることになったのだが、記念館にはここから出撃していった青年たちの写真、手記などが展示されていた。その中に、「完全なる飛行機で行きたし」という言葉があった。チャチなベニヤ張りの特攻機で命を棄てにゆく無念さがにじみ出ている。戦争の惨酷さが改めて胸を刺したことである。


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