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2020年05月01日08:38

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キリシタン紀行 森本季子ー109 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー73

ここを後に、栄島氏のハンドルが導くままに峠を越えてゆくと於斉(おさい)。海峡とは反対側。伊予茂湾に面した集落である。しかし私たちが案内されたのは一本の大樹の前である。
 「シスター、これが東洋一と言われるガジュマルです」
 樹齢三百年、高さ三十メートル、木幹八・五メートル。ガジュマルの大木は赤尾木教会の庭でも見たが、これはまた格段の偉容である。太い気根が幹の周囲から網目のように垂れ下がっている。樹下は張りめぐらした細網のように根が走り、足がとられそうになる。怪物のような熱帯植物!帰ってからの語り草である。
 栄島氏のサービス精神が次に私たちを伴った見学地は呑之浦。ここは瀬相から岬一つを隔てた隣りの入江である。海峡から屈曲して深く入りこんだ奥は波一つない。湖水のように静寂をたたえている。入江にのぞんで整地された芝生に島尾敏雄氏の文学碑があった。呑之浦には第十八震洋隊の基地があった。
「震洋隊とは太平洋戦争の末期に日本海軍が所持した震洋艇と称する全長五メートルもしくは六メートルばかりのベニヤ板製モーターボートを主兵器とした特攻隊であった。艇の主機関にトラックのエンジンを使い、舳先の突端に二百五十キログラムの炸薬を装填した一人若しくは二人乗りで敵艦に体当たりする・・・軍機兵器の一つである」(「震洋発進」島尾敏雄)
 病妻小説「死の棘」や「魚雷艇学生」などの著者島尾敏雄氏はこの呑之浦震洋隊の隊長だった。

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