アルジュナは、この章で再度クリシュナに質問をしました。
「目に見える『イーシュヴァラ(全体世界)』の姿や象徴に瞑想し、『カルマヨーガ(行いのヨーガ)』の態度で行いを『ダルマ(調和)』に一致させる人と、不滅で、空間と時間に縛られず、『イーシュヴァラ(全体世界)』の本質である『ブラフマン(普遍な存在)』を深く考え、探求する人、どちらが『モークシャ(自由)」』に近く、優れているのか?』。
クリシュナは、こう答えました。
『イーシュヴァラ(全体世界)』の本質である不滅の『ブラフマン(普遍な存在)』を深く理解する人々は、すでに彼ら自身が『イーシュヴァラ(全体世界)』であり、比べることはできない」。
クリシュナは、『イーシュヴァラ(全体世界)』に心を向け、瞑想し、ヨーガをし、行いによって心を清める人々が優れている、とだけ語りました。
そしてクリシュナは、『ブラフマン(普遍な存在)』である『イーシュヴァラ(全体世界)』の本質を理解する賢者とはどういう人であるかを説明しました。賢者の意味を知る人だけが、賢者を説明することができます。その説明は、多くの人達の目指すヨーギーの目標を詳細に示しています。
この章で語られた賢者の説明が、自由を目指す者にとっての “必要条件” と「サーダナ(方法)」になっています。
クリシュナは賢者をこのように語りました。
「すべての生き物に敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、我欲なく、苦楽に揺れることなく、常に満足し、自己の規律に感覚や感情を収め、固い決意で『イーシュヴァラ(全体世界)』を深く知ることに専念した人である」。
また「世間がその人のことを恐れず、その人も世間を恐れることなく、喜怒哀楽、恐怖や不安を離れた人。何事にも期待せず、清浄で有能、中立を守り。動揺を離れ、すべての企てを捨て、『イーシュヴァラ(全体世界)』を信頼する人。
興奮せず、憎まず、好悪を捨て、信愛を抱き、敵と味方に平等で、尊敬と軽蔑に対しても揺れず、寒暑や苦楽に対しても動かず、執着を離れ、沈黙し、いかなるものにも満足し、心が安定し、信愛に満ちた人は『イーシュヴァラ(全体世界)』と一つである」ともいいました。
賢者は本質において『イーシュヴァラ(全体世界)』と同じ、唯一つの真実であり、「チット(意識)」であることを認識しています。これを知る人が、私は “個人” であるという自我意識から解き放たれた自由を知る人であるといいます。その人は本質において、クリシュナの語る自分自身『イーシュヴァラ(全体世界)』と一つであるために ”最愛である“ という表現がこの章では何度も繰り返されます。
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