mixiユーザー(id:7986251)

2020年03月06日05:34

100 view

肥後守で物を作った。そんな世代では。

昭和20代はじめに生まれ育ちの団塊世代だ。小学五年生から小刀を持たせてもらえた。肥後守と呼ばれる折り畳みでポケットに入れても怪我はしない。これで鉛筆削りをする。遊びの道具も拵えた。小川に出向き鮒魚釣りザリガニなど。小竹を根っこ少しからゴシゴシと切る。ミミズは湿気た土の下だ。岩をめくらばだいたいいる。糸釣針は駄菓子屋に10円で置いてあった。宝物の自転車漕ぎ遠くまでも^_^。
ザリガニ釣りは、簡単だった。縫さい箱から一番太いタコ糸持ち出しだ。エサはスルメ。もっとも蛙が一番。カエルを捕まえてコンクリに叩きつけ気を失ったら肥後守で解体する。裂いたモモ肉を紐に括り付け。よくとれた。
バケツ一杯に。それを家で煮て食う人もいたなぁ。
飛行機も作る。竹を切りヒゴまで加工する。これには高度な技術いる。
なんせ便利だった。近所歳上の兄さん、同年齢者仲間で。自分で工夫しながらで、やがては工夫を覚えた。昭和三十年半ばに「田舎では自分で家を建てる。銅板一枚からヤカンをつくる。」と聞かされ感心したものだった。現在、手職人がハンドメイドヤカンを50万円で売り出し。原価二、三千円が笑ってしまう。当時の器用な人は底を厚く加工してさえ考えていた。
大人になり金槌、ノコギリになんの躊躇もない。上手い下手は別にして。
女の子は、ママゴトから始まりお裁縫料理に向かった。お母さんの手伝い、幼い弟をおんぶして面倒を見た。
まぁ女の子の世界は男とは別なんで遠くから眺めてた。ミシンで何から何まで完成だ。布地屋さん流行っていたなぁ。仲人口で、多少容色が?な娘さんでも「料理ができるうまく裁縫もしっかり。それは家庭的な良い子だ。」嫁ぐことできた^_^。
人生にとり自分で創意工夫して立ち向かう姿勢を鼻の髄まで叩き込まれた。苦難が来たらよりファイトを燃やす。

外出でできるウイルス感染対策「現金支払い避けるべし」と医師
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=5996964
3 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年03月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記

もっと見る