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2020年02月02日23:44

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2852日目からの続き・・・グッド・ファイト・・・

 2852日目からの続き・・・
ーー↓↑ーー
 金春秋が
 真徳女王・・・「善徳女王」=新羅第27代の女王
 ↓↑       ↓↑
 新羅      ↓↑
 第28代女王  635年
 ↓↑      父の真平王の
        柱国・楽浪郡公・新羅王
        の爵号を継承
        647年正月
        女王が任命した
        上大等の
        毗曇
        らが内乱
        金庾信(黄帝の子の少昊金天氏の子孫)
        ら地方勢力が女王を支援して乱の収拾
        同月八日に女王は陣中に没
        狼山(慶州市)に葬られた
        在位十六年
        その後
        金庾信らは
       「真徳女王」
        を立て
        正月17日
        乱を鎮圧
        毗曇ら20余名を誅殺
        唐からは
        光禄大夫の号を追贈
        姓・諱 金徳曼
        別号  徳曼公主
        国号  聖祖皇姑
        父   真平王
        母   摩耶夫人
 ↓↑         ↓↑
フォト

   真徳女王・・・「善徳女王」の妹
  (在位647年〜654年・・・在位8年後・654年3月死去
   姓 金
   諱 勝曼
   父 第26代 真平王の母方の叔父
             真安葛文王国飯
 ↓↑ 母 朴氏の満天葛文王の娘の月明夫人
 と
 ↓↑
 唐との関係を模索
 律令制度を取り入れ
 650年
 新羅独自で用いていた
 年号(太和)を廃止
 唐の年号を用い
 唐との連携を強化
 ↓↑
 660年
 唐は海路から
 百済を攻撃
 新羅も百済に出兵し
 将軍
 堦白を撃破
 百済の首都
 泗沘が唐によって攻略
 熊津も攻撃を受け
 百済は滅亡
 ↓↑
 663年
 白村江の戦い
 百済遺臣は
 倭国や高句麗の支援を頼みにしたが
 倭国派遣軍が
 唐に大敗
 ↓↑
 666年
 高句麗の
 淵蓋蘇文が死去
 ↓↑
 667年
 高句麗遠征を開始
 新羅の
 文武王(在位661年〜681年)は
 唐に呼応し
 高句麗に攻め入った
 ↓↑
 668年
 唐軍が
 高句麗の首都
 平壌を陥落させ
 高句麗は滅亡
 ↓↑
 唐は
 旧百済領 に「熊津都督府」
 旧高句麗領に「安東都護府」
 設置し
 羈縻州として組み込み
 新羅の
 文武王を
 鶏林大都督
 として朝鮮半島全域を支配下に置く
 ↓↑
 新羅は
 高句麗
 最後の王である
 宝蔵王(在位642年〜668年)の外孫
 「安勝」を
 「高句麗王(報徳王)」に封じ
 「高句麗の使者」を
 「倭国」に朝貢させた
 以後
 新羅の使者が帯同し
 高句麗使が
 倭国へ送られた
 「報徳王」の冊立
 新羅王権の正統性を示し
 唐が設置した
 安東都護府に対抗
 ↓↑
 唐は
 百済故地に置いた
 熊津都督府の都督に
 旧百済王族の
 「扶余隆」
 を据え
 新羅王と会盟を行わせ
 制圧した
 城や遺民の返還を要求
 新羅は
 朝鮮半島全体=「唐の羈縻州」とし
 境界をわかつべきではないと主張
 ↓↑
 670年
 新羅は旧百済領に侵攻
 ↓↑
 672年
 2度目の謝罪使を派遣
 侵攻と謝罪を
 繰り返しつつ勢力を扶植・・・
 ↓↑
 唐は
 674年
 新羅征討軍を起こし
 675年
 新羅は
 3度目の謝罪使を派遣したが
 唐皇帝
 高宗(在位649年〜683年)
 の逆鱗に触れ
 「文武王」
 の官職剥奪まで進展
 新羅は
 謝罪外交と並行し
 軍事的処置を取り
 ↓↑
 676年
 伎伐浦で
 唐軍を破って
 旧百済領全域の支配を掌握
 唐は
 熊津都督府を
 遼東の建安城
 安東都督府も
 遼東城に後退させた
 ↓↑
 唐はなお
 新羅征討を計画したが
 チベットの
 吐蕃に兵力を回し
 678年
 新羅征討を断念
 新羅は
 朝鮮半島中部以南から
 唐の勢力を排除
 ↓↑
 684年
 新羅は
 安勝の
 高句麗亡命政権を潰した
 ↓↑
 696年
 唐と渤海との間に戦端
 渤海により
 唐と新羅は国境線を接しなくなった
 ↓↑
 732年
 渤海は
 山東の
 蓬莱港を占領
 唐は
 新羅に
 南から
 渤海
 攻撃を要請
 新羅は
 渤海を攻撃
 唐が渤海と和解し
 渤海攻撃の功績が認められ
 735年
 唐から
 浿江
 以南の地を冊封された
ー↓↑ーーー
 藤原房前
 ↓↑
 藤原北家
 宝亀二年二月二十一日
 (771年3月11日))
 参議
 藤原房前・・・藤原不比等の次男
        天武十(681)年
        〜
        天平九年四月十七日
       (737年5月21日)
        流行病で死去
 の次男
 母は
 大宰帥
 美努王の娘
 牟漏女王
 官位は正一位・左大臣
 贈太政大臣
 長岡大臣
ー↓↑ーーー
 統一新羅
 官僚制度の改革
 降伏した
 百済・高句麗
 などの王族、貴族を格下げし
 官位制度の中に組み入れ
 律令制を取り入れ
 官吏の養成機関として
 国学という教育機関設置
 州・郡・県を基本と為す
 郡県制を基本とした
 地方支配体制が整えられた
 旧新羅・任那・加羅領に3州
 旧百済領に3州
 旧高句麗領に3州
 の9つの州が設置
 副都五京によって
 地域支配
 ↓↑
 745年頃〜750年代後半
 飢饉や疫病が発生
 ↓↑
 755年
 九州北部
 日本へ亡命
 帰化した新羅の民が多数
 ↓↑
 天平宝字三年(759年)九月
 大宰府に
 新羅からの帰化人に対し
 帰国したい者があれば
 食料等を与えたうえで
 帰国させよとする勅を出した
 ↓↑
 756年
 帰国を希望しなかった
 新羅人
 13人を
 武蔵国に送還
 飢饉や疫病によって
 新羅の賊が発生
ーー↓↑ーー
 668年以降
 日本は
 遣新羅使を派遣
 ↓↑
 672年
 壬申の乱
 大海人皇子(天武天皇)は
 親-新羅政策・・・親-新羅⇔天武天皇
          親-百済⇔天智天皇
          親-百済⇔弘文天応
 ↓↑
 持統天皇(在位690年〜697年)
 天武天皇の外交方針を継ぎ
 親-新羅政策
 新羅は
 日本への朝貢関係をとった
 ↓↑
 687年(持統天皇元年)
 帰化した
 新羅人14人を
 下野国
 新羅の
 僧侶、百姓の男女22人を
 武蔵国に
 土地と食料を給付
 ↓↑
 689年(持統天皇三年)
 新羅人を
 下毛野に移し
 690年(持統天皇四年)
 新羅人を
 武蔵国
 下毛野国
 に居住させ
 ↓↑
 715年(霊亀元年)
 尾張国人の
 席田君邇近
 新羅人74人
 が美濃国を本貫地とし
 席田郡に移される
 天平五年(733年)
 ↓↑
 735年(天平七年)
 日本入京の新羅使が
 国号を
 「王城国」・・・「王の城の国」
 と
 改称したと事後通告し
 日本の朝廷は
 無断で国号を改称した無礼を責め
 使者を追い返した
 朝鮮半島中南部の
 統一新羅が
 日本と
 対等な関係を要求
 渤海が
 遣日本使を派遣
 ↓↑
 736年(天平八年)
 遣新羅大使の
 「阿倍継麻呂」は
 新羅で非礼な扱いを受け
 朝廷は伊勢神宮など諸社に
 新羅の無礼を報告し
 調伏のための奉幣
 以後
 新羅使を
 大宰府に止めて帰国させ
 入京を許さなかった
  ↓↑
 天平九年四月十七日
 (737年5月21日)
  ↓↑
 「阿倍継麻呂」
 は新羅からの
 帰国途中に病死
 残された
 遣新羅使の帰国後
 平城京で
 「天然痘」
 疫病が流行
 疫病が
 新羅から持ち込まれた・・・???
 ↓↑
 752年(天平勝宝四年)
 新羅王子
 金泰廉
 ら700余名の新羅使が来日
 朝貢
 使節団は
 奈良の大仏の塗金用に
 大量の金を貢いだ・・・
 王子による朝貢で
 新羅は日本に服属・・・
 ↓↑
 753年(天平勝宝五年)
 長安での席次争い
 長安の大明宮で
 唐の朝賀
 遣唐使
 「大伴古麻呂」が
 新羅の使者と席次を争い
 意を通す
 唐は
 新羅が
 日本の
 従属国である事実を受け
 新羅を下位に置いた
 新羅の
 景徳王は
 遣新羅使に謁しなかった
 ↓↑
 藤原仲麻呂
 新羅征討計画
 758年(天平宝字二年)・・・宝(財)の字の字念
 安禄山の乱     宝姫=高良秘め=斉明天皇
 藤原仲麻呂(仲麿・仲丸・淳仁朝以降は改姓
       藤原恵美押勝(えみおしかつ))
 は
 大宰府
 諸国の防備を厳にすることを命じ
 759年(天平宝字三年)
 新羅が
 日本の使節に無礼をはたらいたとし
 藤原仲麻呂・・・親百済?
 (恵美押勝=えみのおしかつ=笑生死活)
      「海老・蝦・蛯」之「尾死活」?
 は
 新羅征伐の準備
 軍船394隻
 兵士4万700人
 の動員遠征計画
 孝謙上皇(阿部皇女)・・・親新羅?
 と         ・・・親唐(阿部仲麻呂)
 藤原仲麻呂・・・・・・・・親百済?
 との不和により
 不実行
 ↓↑
 8世紀の終わり
 新羅国内混乱
 再び日本に慇懃な態度
 宝亀十年(779年)
 新羅は
 日本への服属を象徴する
 御調(みつき)を携え使者を派遣
 ↓↑
 新羅の混乱により
 多数の難民が日本列島へ亡命
 大量に帰化を申請
 日本は
 「蛮国」の人民が
 天皇の徳を慕って
 帰化を願い出た事を嘉
 帰化を許可した
 ↓↑
 780年
 正規の遣新羅使は停止
 以後
 遣唐使の
 安否を問い合わせる使者が
 数度送られたのみ
 ↓↑
 民間レベル(交易)の交流は継続
 新羅商人
 張宝高=張保皐
     本名 弓福(弓巴・保皐)
     生れは「海島人」
     唐に渡り「徐州の軍将」
     帰国後は
    「清海鎮大使・感義軍使
     奴隷貿易禁圧の鎮海将軍」
     日本・新羅・唐の3国間の
     海上貿易で富を得た
     新羅の海商
     イスラム商人とも交易
     日本の
     遣唐使や
     円仁らの入唐をたすけた
     王族間の後継争いで
     金祐徴(神武王)が
     張保皐のもとに身を寄せ
     金祐徴を支援するために
     友軍の
     鄭年に5千の兵を与えて
     閔哀王を討ち
     金祐徴は
    「神武王」として即位・・・?
     張宝高は
     娘を
    「文聖王」の王妃にする約束が
     破られ反乱
     文聖王三年十一月刺客に殺害された
    ・・・「文」は時代を超えて裏切る・・・?
ーーーーー
 780年
 武烈王の王統が絶え
 王位継承の争い
 王位簒奪
 王都内での反乱発生
 ↓↑
 骨品制で
 新羅王族のみが
 上位官僚を占め
 官僚制度は行き詰まり
 災害や飢饉
 反乱や内戦
 渤海(698年〜926年)との対立
 新羅は滅亡
 ↓↑
 恵恭王の時代
 第36代
 恵恭王
 の在位中に
 律令体制の推進派
 と
 旧来の貴族連合的体制への復帰派
 との対立
 反乱が多数発生
 ↓↑
 768年7月
 一吉飡(7等官)
 大恭
 阿飡(6等官)
 大廉
 兄弟の反乱
 貴族連合体制復活派の反乱
 王都を33日間包囲
 王の軍隊が平定
 ↓↑
 770年8月
 大阿飡(5等官)
 金融の反乱
 金融は
 金庾信の後裔で
 中央貴族に対抗する
 地方勢力を代表する
 律令体制推進派
 ↓↑
 775年
 6月
 伊飡の
 金隠居の反乱
 元侍中の
 金隠居は
 金融の反乱の後に退官し
 反乱を起こした
 貴族連合体制復活派の反乱
 ↓↑
 8月
 伊飡の廉相
 侍中(現職)の正門が反乱を企て
 発覚して誅滅
 正門は
 金隠居の退官の後に侍中に就任し
 律令推進派の反乱
 ↓↑
 776年正月
 新羅政府は教書を出し
 律令体制を強固に推進した
 景徳王が
 唐風に改名した百官の名称を
 旧来のものに戻した
 貴族連合体制派への譲歩
 律令体制推進を
 廃止しようとするものではなく
 3月に
 倉部(徴税)の史(3次官)を8名増員
 国家財政や
 人民支配の強化
 ↓↑
 780年
 2月
 伊飡の
 金志貞が反乱
 宮中包囲
 4月
 上大等の
 金良相(宣徳王)が
 伊飡の
 金敬信(元聖王)とともに挙兵
 金志貞を滅ぼす
 戦乱の中で
 恵恭王
 王妃
 ともに殺害
 ↓↑
 781年7月
 浿江(大同江)以南の地に
 使者を送って安撫
 ↓↑
 782年閏正月
 第37代
 宣徳王
 唐に対して朝貢
 渤海に備え
 北方面の守備に努め
 ↓↑
 782年2月
 漢山州(京畿道広州市)の住民を
 浿江鎮(黄海北道平山郡・金川郡)
 へ移住させた
 ↓↑
 785年正月
 唐の徳宗から
 検校太尉・鶏林州刺史・寧海軍使・新羅王
 に冊封されたが
 正月13日に死去
 ↓↑
 宣徳王(?〜785年)
 第37代の王(在位780年〜785年)
 姓 金
 諱 良相
 第17代
 「奈勿尼師今」の十世孫
 父 海干(4等官の波珍飡)の
   金孝芳
 母 第33代
   聖徳王の娘
   四炤夫人
   追封 開聖大王
      貞懿太后
 王妃 角干(1等官)の金良品の娘
    具足夫人・・・「具の足」
ーー↓↑ーー
 「匕首伝説=背後からの一突き」
 「十一月の犯罪者」
 「ヴェルサイユ条約の強制命令」
 「地域-国家社会主義の革命」・・・?
  ↓↑
 「民族社会主義≒人種社会主義」
  ↓↑
 「肉食的な群れ型動物種の社会生活」
 「蟻型」、「蜂型」・・・
 「昆虫型社会主義」・・・
  ↓↑
 「われらが最後の希望」・・・
 ・・・経済的困窮 からの解放者・・・
 ・・・経済的破壊、困窮の形成者・・・
  ↓↑
 「国家社会主義」vs「国際(世界)社会主義」
 ・・・・そんなモノはなかった・・・
 私有財産・私有権力・・・
 プチブル思想の肥大化・・・
 「人間意識のサガ」・・・「自然・天然」意識?
 上昇志向・ドリーム(幻想試行)・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・地球、大陸、半島、島々・・・
 親戚、親類、一族郎党が
 流浪し、居座っても、居付いても、どっかに行っちまッても・・・
 縄張り争いで
 近親の親戚、親類、一族郎党の確執、権力闘争・・・
 ・・・
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