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2020年01月07日15:15

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年頭にあたり 後藤新平、政治指導者の「原像」 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

 下記は、2020.1.7 付の 正論 の記事です。

                        記

 後藤新平という一代の政治家がいる。内務省衛生局長、台湾総督府民政長官、満鉄総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長、再度の内務大臣を経て宰相にもう少しで手が届くまでにいたる。

 しかし、後藤の長い政治人生における「青春」は台湾総督府民政長官の8年余の時代であった。総督府を辞し初代満鉄総裁に就任して以降の後藤の文章には、台湾時代には輝いていた光彩が失せ、政治的地位は着々と上昇していく一方で軍部や官僚や閣僚に対する不平不満、愚痴めいた話が次第にふえてくる。日露戦争勝利の頃から築きあげられた既得権益に高い志操の後藤の建議のことごとくが退けられてしまったのである。

 ≪思想や人間観を現実政治に≫

 後藤にとって台湾は「建国」であった。権力と権威において比類なき軍政家・児玉源太郎を総督に擁し、しかも帝国憲法・議会の制約からも離れ、フロンティア台湾のキャンバスのうえに「生物学の原理」にもとづく諸政策を次々と展開していった。台湾時代の後藤ほど力動感にあふれた政治的人生は稀代のものなのであろう。

 思想と現実という。自らの思想や人間観を現実の政治に生かすことなど容易でもあるまいが、後藤にはそれができたのである。後藤の幸運であった。後藤の思想と人間観は何かと問われれば、私には次の二つのことが頭をよぎる。

 後藤は初めて台北の街を訪れた時、不思議な光景をみた。本土のどこの街にいっても酒やタバコを商う店舗は必ずある。ところが台北ではこのいずれをもほとんどみかけない。なぜなのか。台北の人々の嗜好(しこう)がアヘンの一点に集中してタバコは次第に淘汰(とうた)され酒も同様の理由で消えていったのではないか。後藤はそう直感する。アヘン常習喫煙者の駆逐が重要な課題とされていた統治開始の頃のことである。

 ≪よく観察し、環境を整える≫

 嗜癖(アディクション)というのは“はまる”とか“のめりこむ”といった意味の心理学の用語だがアヘンはこの嗜癖性においてタバコや酒類に比べて相当に強いものらしい。後藤は思考を巡らす。“人間とは何かに依存せずに生きていくことのできない存在だ”。ならば嗜癖性のより強いアヘンからより弱いタバコや酒類へと人々の依存の対象を転換・誘導したらどうか。そのためにはアヘンの販売価格を高価にし、タバコと酒類を安価にする方法しかあるまい。専売制度の導入によるアヘン漸禁策の第一歩であった。後藤の人間観、鮮やかというべきであろう。

 後藤の政治思想の根幹にあったのは「生物学の原理」である。動物が環境に順応しながら生きているように、人間の生存する環境をよく観察し、生存環境を整える政策を立案・施行しなければならないという考え方である。「動物ガ克(よ)ク寒暑ヲ凌(しの)ギ、飢渇ニ堪(た)ヘ、境遇ニ順応シテ生存スルガ如(ごと)ク、吾等ハ時ト処(ところ)トニ随(したが)イ、克ク諸般ノ困難ニ打勝」つべしという。

 後藤は自治の実践者でもあった。台湾は清朝の時代に清国の領土に組み込まれたが、ここが統治の対象となることはまるでなかった。後藤はこう考える。

 台湾は清国による統治の埒外(らちがい)に放置されていたがゆえにこそ「自治自衛ノ旧慣」がここには驚くほどに発達しているではないか。「此(この)自治制ノ慣習コソ、台湾島ニ於ケル一種ノ民法ト云(い)ウモ不可(ふか)ナシ」という。新しい統治者となった日本がこの旧慣を存分に活用しないでいいはずがない。権力者が権力をもって統治のあり方を自在に構想しようというのではない。逆に旧慣の中にこそ社会の真実があると後藤はみたのである。

 ≪現代のリーダーシップとは≫

 政治的リーダーシップとは何か。国から自治体にいたるまで民主制度が徹底され、行政機構が堅牢(けんろう)に築きあげられた日本の社会にあってリーダーシップ論など無用か。リーダーシップを発揮しようにもそのための「空間」がかつてのようには与えられていないのかもしれない。

 だが制度や機構がいかに整備されようと、それらをつくりだした先人がいる。彼らのおそらくは並大抵ではなかった苦心のことに思いを馳(は)せ、制度や機構を恒常的に練磨していくことが欠かせないのではないか。少子高齢社会の渦中にあって社会保障制度の持続可能性が追求されねばならない。何より日本の制度や機構を存立せしめている国家安全保障が随分ときわどい。義務と権利の調整や国防上の難事を制度や機構だけで解決できるとは思われない。

 台湾近代化の帳(とばり)を開いたのは後藤新平の思想と人間観であった。後藤の台湾総督府民政長官時代の諸文献は政治家のリーダーシップとは何かを豊穣(ほうじょう)に物語っている。朝敵仙台藩の水沢で出生、自身の実力で地位を築いていくより他なかった後藤が苦心惨憺(さんたん)の人生の過程で修得していった思想と人間観でもある。(わたなべ としお)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200107/0001.html
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