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2020年01月06日15:25

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戦艦大和が謎の反転 「特攻第一号」も報われなかった

 下記は、2020.1.5 付の 昭和天皇の87年 です。

                        記

第190回 一撃講和(2)

 世界の海戦史上、最大規模となった昭和19年10月23〜25日のレイテ沖海戦。その結末は不可解な謎に包まれ、現在も多くの議論を呼んでいる。

 25日午後1時10分、レイテ湾口にあと80キロまで迫った戦艦大和座乗の第二艦隊司令長官、栗田健男は各艦に反転を指示し、敵の輸送船団を目前にしながら引き返してしまった。米空母隊が出現したとの誤情報に惑わされたとか、栗田に積極性が欠けていたとか、さまざまに言われるが、真相は今も不明だ。

 連合艦隊司令部は栗田艦隊に、「レイテに突入せよ」と繰り返し命じていた。突入を支援するため、空母主体のおとり部隊(小沢艦隊)が敵艦隊の主力を引きつけ、旧式戦艦でつくる別動隊(西村艦隊)が敵の水雷戦隊や駆逐艦隊と果敢に砲戦を挑み、いずれも壊滅に近い損害を受けたが、そうした全ての犠牲、あらゆる努力が水泡に帰したといえよう(※1)。

 神風特別攻撃隊が組織され、米空母セント・ローを撃沈する初戦果を挙げたのもこの海戦だ。翌26日、軍令部総長が「特攻第一号」を報告した際、昭和天皇は愕然とし、「そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった」と話したという(※2)。

                    × × ×

 栗田艦隊の“謎の反転”により、一撃講和をもくろんだ「捷一号作戦」は失敗に終わる。連合艦隊の損害は大きく、大和を除く主力艦の大半を失い、艦隊としての決戦力を喪失した。

 そもそも海軍は、決戦前から大失態を演じていた。レイテに向かう米艦隊が台湾沖に現れた10月12〜16日、迎撃した海軍基地航空兵力の戦果を過大に集計し、「敵機動部隊の過半の兵力を撃滅して之を潰走(かいそう)せしめたり」「敵航空母艦十一隻撃沈、戦艦二隻撃沈、巡洋艦三隻撃沈…」などと大々的に発表してしまったのだ。実際には1隻の撃沈もなく、あとで“幻の大戦果”と分かるが、今さら取り消すこともできず、陸軍にも事実を隠した。このため陸軍は、レイテ島に上陸した米軍部隊を過小評価し、ルソン島を固めていた第14方面軍のレイテ投入を決断。制空権がない中で大苦戦を強いられ、甚大な被害を出すこととなる(※3)。

 その頃、欧州でも敗色が濃厚となっていた。

 すでにイタリアは前年7月に内部崩壊して首相のムソリーニが解任、逮捕され、9月に降伏した。戦後は王制が廃止されて共和国となる。

 ドイツも敗走を重ねた。1944(昭和19)年6月、米英など連合国軍32万5000人がドーバー海峡を越え、フランス北西部のノルマンディーに上陸。8月にパリを解放する。東部戦線では総兵力170万人のソ連軍が史上最大の反撃戦「バグラチオン」を発動。ドイツ中央軍集団を撃破し独ソ戦開始時の国境線まで戦線を押し戻した。

 対するドイツは12月、「ヒトラー最後の賭け」といわれるバルジの戦いで西部戦線の連合国軍に打撃を与えたが、反撃されて翌年1月に撤退した。

 昭和天皇は、ドイツの敗北が近いことを予期していたようだ。レイテ沖海戦の1カ月前、昭和19年9月26日に内大臣を呼び、「ドイツ屈服等の機会に名誉を維持し、武装解除又は戦争責任者問題を排除して和平を実現できざるや、領土は如何でもよい旨」を語ったと、昭和天皇実録に記されている(32巻158頁)。

 昭和20年1月−。昭和天皇は立憲君主の立場を維持しながら、自ら和平への一歩を踏み出そうとする−−。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

                        ◇

(※1) 栗田艦隊が突入しても、米軍に与える損害は少なく、逆に全滅させられたとする見方もある

(※2) 昭和天皇は特攻作戦にショックを受け、何らかの説明を求めたとみられ、大本営海軍部は納得してもらうために「神風特攻隊御説明資料」を作成、攻撃3日後に提出した

(※3) 第14方面軍司令官の山下奉文は部隊のレイテ投入に反対したが、海軍発表の“幻の大戦果”を信じる南方軍総司令官の寺内寿一は山下の意見具申に耳を貸さなかった。実戦では山下の予想通り、輸送船などが次々と敵機に撃破されてしまい、第14軍は戦わずして戦力を消耗。ルソンの防衛体制も破綻することとなった

                        ◇

【参考・引用文献】

○左近允尚敏著「捷号作戦はなぜ失敗したのか」(中央公論新社)

○太平洋戦争研究会著「主要作戦失敗の軌跡」(別冊「中央公論」平成24年1月号収録)

○山田朗著「昭和天皇と軍事情報」(駿台史学会発行「駿台史学」127号収録)

○マーティン・ギルバート著「第二次世界大戦〈下〉」(心交社)

 https://special.sankei.com/f/society/article/20200105/0001.html
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