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2019年12月15日23:56

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ハンガリー

昨日、今年のハンガリーからのアカデミー賞推薦映画、Those Who Ramainedを観てきたのだけど、ハンガリーって豊だったの?って印象。

舞台は1948年のブダペストだと思うんだけど(どの都市かはわからないけど、都会っぽいので多分)、戦争で爆撃を受けなかったのね、って感じで街にがれきがない。ナチスの収容所から生きて帰って来た婦人科医と、同じく生きて帰って来た16歳の少女の交流を描くんだけど、まず、皆が5〜10階?のような中層のアパートに住んでる。日本の戦前から終戦直後を舞台にした映画で集合住宅に住んでるのを見たことがない。

日本で集合住宅が最初に出来たのはいつだったの?って調べたら大正5年(1916)、軍艦島だった(https://www.goodrooms.jp/journal/?p=7389)。集合住宅、ってのは1903年のパリ、ってんで、鉄筋造りの集合住宅、ってのは20世紀の発明物だったのね。

で、軍艦島の後は、同潤会(https://www.aoyamabussan.co.jp/blog/post-184/)の1924年?27年?という関東大震災の復興のために建てられたもの。

で、二人で医者の友達の家を訪ねるんだけど、その家も集合住宅のなかで、リビング、ダイニングも別々にあれば、隣の部屋にはピアノもあって、とっても広そう。で医者の住む小さなアパートも家具が立派。1948年の日本でこんなの、なかったわよね?ハンガリーって当時は日本よりずっと豊かだったのね、って思った。



当時の日本映画、ですぐ頭に思い浮かんだのは小津の「風の中の雌鶏」(1948)、黒澤の「素晴らしき日曜日」(1947)なんだけど、どちらも焼野原の中の掘っ立て小屋。唯一の例外が「安城家の舞踏会」(1947)だけど、これは、由緒ある華族が戦後に落ちぶれて、お金に困って家を売る、って話なので(チェーホフの「桜の園」が原案)特殊だものね。



ま、日本が一番豊かだった30年前でも、日本の住宅資本は貧弱だったからねぇ。きっとこれからは良くならないから、日本人はこのボロい狭い家にこれからもずーっと住んでくのね。



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