mixiユーザー(id:9389954)

2019年11月29日20:29

70 view

行動力と発言力は、100歳になっても衰えなかった人だった。

■中曽根元首相死去、101歳=日米重視、国鉄民営化断行―「戦後政治総決算」掲げ
(時事通信社 - 11月29日 13:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5883234
中曽根康弘元内閣総理大臣、亡くなる、ですか。記事にもあるように日米関係の強化、三公社(日本電信電話公社、日本専売公社、日本国有鉄道)の民営化などを推し進めるなど行政改革を推進して大きな実績を残し、その行動力と発言力などでは昭和の戦後政治において有数の存在であり、「戦後政治の総決算」を掲げ、憲法改正(初期は「自主憲法制定」と称した)を生涯のテーマとして掲げていた人らしい一面を見せていた内閣を率いた首相でもありましたが、一方では、その憲法改正も果たせぬまま「戦後政治」の中に半ば埋没していた印象もあり、一度内閣総理大臣として行った靖国神社参拝も続けることはなく、どこか"道半ば"なところが残った感じもありましたね。
大正7年、群馬県高崎市に生まれ、昭和16年に東京帝大を卒業して内務省に入り、戦時中に海軍に勤務した後昭和22年の衆院選に初当選(旧群馬3区)し、衆議院議員としてのキャリアは連続20期56年に及んだ人でもありました。昭和34年、第二次岸信介内閣で科学技術庁長官として初入閣し、運輸相、防衛庁長官、通産相、自民党総務会長、幹事長などを歴任し、昭和55年に鈴木善幸内閣の行政管理庁長官として行政改革を主導、第二次臨時行政調査会(通称:「第二臨調」、土光敏夫会長)の発足に尽力し、昭和57年の第71代内閣総理大臣就任後に行った三公社(日本電信電話公社、日本専売公社、日本国有鉄道)民営化の基礎にもなったとも言われますね。
また、外交面では首相就任直後に当時関係悪化の状況にあった韓国と米国を相次ぎ訪問して関係修復に努め、特に米国とは第40代大統領ロナルド・レーガン大統領と「ロン・ヤス関係」と呼ばれ「運命共同体」と位置付けたほどの緊密な関係を構築して日米同盟を強化、ソ連(当時)はじめ東欧の社会主義体制に対峙する姿勢を強め、さらには防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を突破する予算を編成、当時の西側諸国の政治指導者として存在感を高めていた印象がありました。
その一方、中選挙区時代の自身の選挙区たる群馬3区では一足先に内閣総理大臣となった福田赳夫、後に竹下登内閣の内閣官房長官として「平成」の元号を発表、内閣総理大臣にもなった小渕恵三らがおり、衆議院選挙では当選はするもトップの得票数となることは稀で、福田赳夫の後塵を拝する結果となったことが多かった印象があります。 
率いていた中曽根派は自民党内では少数派閥で、加えて政局の節目で政治行動のスタンスを変えた人でもあり、「政界の風見鶏」の異名でも知られており、批判的視点で見る人はこの名前や首相退任後の平成9年に受章した大勲位菊花大綬章とともに、揶揄の対象として使われたキーワードになっていたようでした。小選挙区比例代表並立制となって比例北関東ブロックの単独候補となり、平成15年、当時の衆議院選挙にあたり自民党の比例代表単独候補への定年制適用により小泉純一郎首相(当時)から引退を勧告されて出馬断念に追いやられて国会議員を引退。その後も講演やテレビ出演などで憲法や教育問題などに関し積極的な発言を続け、平成29年、安倍晋三首相が掲げた憲法9条改正について自衛隊を「自衛軍」として2項に明記すべきだと主張したほどだったとか。言葉も豊富な人でしたが、100歳を迎えた際も矍鑠さはあり、享年101は「大往生」と言われる年齢でしたが、まだまだ世に発信するメッセージにこと欠かない人でした。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年11月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930