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2019年11月09日15:03

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札幌交響楽団 第623回 定期演奏会

【プログラム】

J.S.バッハ:ヨハネ受難曲BWV245

松井 亜紀(ソプラノ)
藤木 大地(カウンターテナー)
櫻田 亮(テノール)
三原 剛(バス・イエス)
加耒 徹(バス)

平尾 雅子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
若松 夏美(ヴィオラ・ダモーレ)
高田 あずみ(ヴィオラ・ダモーレ)
瀧井 レオナルド(リュート)
室住 素子(オルガン)

札響合唱団
札幌交響楽団

マックス・ポンマー(指揮)

2019年10月19日(土),14:00開演,札幌コンサートホール


札響の10月定期演奏会はバッハの「ヨハネ受難曲」。前首席指揮者マックス・ポンマーがライプツィヒ出身で,札響合唱団が定期演奏会へ出演してする機会を確保する必要もあるため「ヨハネ受難曲」を選んだのだろうと推測する。

前世紀の前半に隆盛を極めたロマン主義的美学に汚染された「ヨハネ受難曲」である。ポンマーはヘルマン・アーベントロートやヘルベルト・フォン・カラヤンのもとで学んだらしい。こうした点を考慮するなら,札響の前首席指揮者が,時代にそぐわないほどロマンチックな「ヨハネ」を演奏するのもある意味当然だ。だが,札響の定期会員に「バッハのヨハネはこの程度の作品」だという間違った認識を与えることを最も恐れる。あたかも前世紀の終盤から盛んになってきた古楽演奏の動向にまったく無頓着なバッハの受難曲である。それ以上に,マックス・ポンマーの音楽的力量が著しく貧弱であることを無慈悲なまで暴露した「ヨハネ」だ。さらに,この楽曲の演奏で重要な役割を担うべき合唱がアマチュア並みの水準であったことも,演奏に失望した大きな要因である。

ロマンチックなバッハの代表格ともいうべきカール・リヒターの演奏と比べてさえ,ポンマーの「ヨハネ」はバッハの受難曲が持つ峻厳な側面は皆無に等しく,弛緩した「ヨハネ」であり,精神性のかけらも無い甘美さだけを追い求めただけのようなような演奏である。ポンマーは「ヨハネ」全曲を破綻なくまとめ上げていたものの,それはとりあえず致命的なミスなしに演奏し終えたということ以上でも以下でもない。これといった特徴がある訳でもなく,指揮者の主張が込められていた訳でもない。そもそもパフォーマンスのレベルがプロにふさわしい水準を保っていたとは言い難い。率直に言って,緊張感に欠ける演奏は聴いていて退屈極まりない。言うまでもないことだが,肝心要の指揮者がバッハ縁のライプツィヒで生まれようとも,そのことが音楽的力量の不足を補うものではない。前首席指揮者との関係を即座に断ち切る訳にもいかないという事情があるにせよ,ポンマーに「ヨハネ受難曲」を振らせるのは愚策だ。

いまや世界標準となった感のある古楽演奏を根底から度外視したような古色蒼然としたロマンチックなバッハは刺激がなく退屈極まりない。古楽演奏がロマンチックな演奏を駆逐する勢いで一般化しつつあるその背後にある問題意識とは無縁の演奏だ。たとえモダン楽器のオーケストラであっても,古楽演奏の成果を取り入れようとする姿勢は皆目見当たらない。バロック音楽特有の弾むようなリズムや古楽奏法が生み出すニュアンスに富んだアーティキュレーションなど微塵もない。先日,札響の名曲コンサートに客演した鈴木秀美の指揮の対極に位置するような演奏である。時代錯誤の「ヨハネ受難曲」だと切り捨てる以外にないだろう。

こうした印象をさらに強めたのが札響合唱団。古楽演奏団体の少数精鋭で固めた合唱団でもなく,歌劇場専属のパワフルな合唱からも遠く隔たっている。札響合唱団はアマチュア以上だとしても,良くても実力はセミプロ級の合唱団。とても,プロのオーケストラの定期演奏会で歌う力量を有する演奏団体ではない。地元に,古楽演奏団体やオペラハウスがあるわけでなく,音楽を専門に教える大学があるわけでもない。こうしたことの悲哀を痛感せざるを得ない定期演奏会だった。スコアが指定する楽器の数まで縮小したオーケストラと音量のバランスを取るために,合唱の人数を増やして大規模な合唱にせざるを得ないのが実情だ。人数が多くなると機動性に乏しく小回りの効かない,鈍重な合唱に成り果ててしまう。ドイツ語のテクストの発音も怪しい。素人の合唱と選ぶところのない団体が,最先端のバッハ演奏に慣れた耳を満足させることは不可能だ。

甘美でロマンチックな管弦楽と実力が素人並みの合唱のコンビでは,とにかくバッハの「ヨハネ受難曲」をなんとか全曲通して演奏しましたという水準を超える演奏は望むべくもない。

ソリスト陣はバッハ・コレギウム・ジャパンの公演の常連で固めていて,一応の水準に達していた。ただし,カウンターテナーの出来は良くなかった。音程が不安定で,とても危なかしいイライラ,カリカリさせるアリアである。「ヨハネ」を聴いてこんなフラストレーションは味わいたくない。とりわけ,前半の出来は耳を覆うばかり。

ヴィオラ・ダ・ガンバをはじめとするゲストの器楽奏者もバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーが中心。おそらく,安定した演奏だったと想像する。しかし,モダン楽器群とのバランスが悪く,音量が小さ過ぎてなぜ古楽器を加えたのかその意義が演奏で明らかにされることはなかった。

時代錯誤と言いたくなるほどロマンチックな傾向が強い一時代前の「ヨハネ受難曲」である。この楽曲が聴衆にアピールする強力なパワーを持っているにもかかわらず,ありきたりの凡庸な音楽に終始していた。バッハの受難曲がこの程度のつまらない作品だという致命的な誤解を来場者に与え兼ねない演奏だったことが悔やまれる。札響の定期会員の多くは信じられないくらい他の演奏会を聴かないので,こうした誤解を生むことは懸念されて然るべき。
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