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2019年10月27日17:00

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「日本は米国の罠(わな)にかかった」 近衛文麿ついに退陣 

 下記は、2019.10.27 付の 「昭和天皇の87年」 です。

                       記

第170回 開戦か外交か(2)

 昭和16年9月6日の御前会議で、昭和天皇が異例の発言に及んだ効果は大きかった。帰庁した陸相の東条英機が「聖慮(せいりょ)は平和だ」と声を励ましたのに続き、軍務局長の武藤章も部下を集めて言った。

 「戦争などとんでもない、おれが今から(速記メモを)読んできかせる。これは何でもかでも外交で妥結せよとの仰せだ、外交をやらにゃいかん」

 だが、陸軍の空気を変え、時代の流れを止めることができたのは、1カ月ほどだった。その頃、駐米大使の野村吉三郎から伝えられる米政府首脳の態度が、日に日に硬化していたからだ。

 9月3日、米大統領のルーズベルトは野村に、日本側が提案していた日米首脳会談について事実上拒否する回答を手交。10月2日、米国務長官のハルは野村に、仏印と中国からの全面撤兵を求める覚書を手渡した(※1)。

 もはやアメリカに、何を提案しても拒絶される状況である。政府内からは「米国の罠(わな)にかかったのだ」とする声が強まり、陸軍内の大勢も交渉成立の見込みはないとして、再び開戦に大きく傾いた。

 いつもの近衛なら、とうにさじを投げていただろう。なおも踏みとどまったのは、御前会議の様子が頭から離れなかったからではないか。近衛は、中国からの全面撤兵を決意し、10月12日、自身の50歳の誕生日に陸海外相らを集めて協議した。

 及川古志郎海相「今や和戦いずれかに決すべき関頭に来た。その決定は総理に一任したい」

 近衛「今日ここで決すべしというなら、自分は交渉継続ということに決する」

 東条「その結論は早すぎる。見込みのない交渉を継続して戦機を逸したら一大事だ。外相は見込みがあると考えるのか」

 豊田貞次郎外相「条件次第だ。駐兵問題で陸軍が一歩も譲らないなら見込みはない」

 東条「駐兵問題だけは絶対に譲れない」

 近衛は翌日以降、東条を懸命に説得する。しかし、東条はてこでも動きそうになかった。

 ネックとなったのは、御前会議で決定した「帝国国策遂行要領」だ。10月上旬頃までに日米交渉のめどが立たなければ「直チニ対米(英蘭)開戦ヲ決意ス」と明記されており、その期限がすでに来ている。

 東条は、企画院総裁の鈴木貞一に言った。

 「御前会議の決定を覆すなら、輔弼(ほひつ)の責任を果たさなかった閣僚も陸海両総長も全部辞職し、もう一度案を練り直す以外にない」

 原則論としては、東条は間違っていない。鈴木から東条の伝言を聞いた近衛は10月16日、昭和天皇に全閣僚の辞表を奉呈した−−。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

                        ◇

(※1) 10月2日のハル覚書は、日本側提案に関する交渉打ち切り表明ともいえる内容で、開戦は避けられないとする見方が一気に強まった。昭和天皇の意向を知る陸海上層部の中には交渉継続を模索する動きもあったが、陸軍からは「海軍が戦争を欲せずと公式にいってくれるのなら陸軍として部下を押さえやすい」(武藤章軍務局長)との声が上がる一方、海軍では「海軍として戦争を欲しないとはいえない。首相の裁断に一任というのが精一杯だ」(岡敬純軍務局長)とするなど、双方とも責任をかぶろうとしなかった

                        ◇

【参考・引用文献】

○三宅正樹著「第三九代 第三次近衛内閣」(林茂ら編「日本内閣史録4」〈第一法規出版〉収録)

○義井博著「昭和外交史」(南窓社)

○近衛文麿手記「平和への努力」(日本電報通信社)

 https://special.sankei.com/f/society/article/20191027/0001.html
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