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2019年10月24日22:45

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兵庫芸術文化センター管弦楽団第118回定期演奏会(終演)

後半はプロコフィエフの交響曲5番。プロコフィエフに対しては同属嫌悪の感がある。セオリーや
常識に対して常に懐疑的で相当な皮肉屋であった事が残された作品から察せられる。
同属嫌悪と書いたのは、これはプロコフィエフに対してのみならず自らに向けられた刃でもある。
交響曲5番はOp.100で1918年に離れた祖国へ戻ってからの作品。この時代、新古典主義の
時代と言われる。ところが私が思うに新が曲者で、古典に対する皮肉が作品に感じられる。
今回、聴きに行く事にした理由がヴェデルニコフさんが振るから。興味深いインタビューが
プログラムに載っている。それはヴェデルニコフさんがプロコフィエフとの繋がりを語ったもの。
お父様もボリショイ劇場のバス歌手であったが

父はプロコフィエフのオペラ『戦争と平和』のクトゥーゾフの最も優れた解釈を創りあげた歌い手
の一人で、プロコフィエフの生涯の2人の妻や息子たちを個人的に知っていました。ここに、私と
作曲家をつなぐ"ブリッジ"の一つがありました。そして今、私は『戦争と平和』が1947年に初演
されたサンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場の芸術監督を務めているのです。最近、
この歴史的なプロダクションを再プロデュースすることを計画中なんですよ。

『戦争と平和』にプロコフィエフが着手したのが1941年。交響曲5番も1944年と同時期の作品。
初演が少し早く1945年1月。何れも第二次世界大戦中である。最初こそ分かり易そうに出るが
とんでもない世界に連れて行かれる感。元来、変ロ長調B-durは不安定な調で、それを逆用
している。ヴェデルニコフさんは本曲に悲劇や勝利、カタルシスが複雑に内在する作品なのだと
解説されているが、それは納得できる。こうなったのはソ連の立場が関係する。第二次世界大戦
で戦勝国とはなったがレニングラードをナチスに包囲される等、多大な犠牲を払った。
第2楽章はリズミカルなのだがAllegro marcatoとある。ソ連軍の行進を連想させる。
第3楽章はAdagioなので、ゆっくり。しかも暗い。
終楽章は一転して、かなり速い。私の前は弦楽奏者で皆が一斉にガーっと弓を動かす。
物凄い音。そして唐突に静まり返って何とコンマス豊嶋さんのソロ。そして終曲。

率直な所、当惑しつつ良い演奏ではあったので拍手。するとPACの面々が楽譜を変えた。
ヴェデルニコフさんは指揮棒を持たずに指揮台に上がり手をサッと振った。
するとトランペットが鳴った。

アンコール
セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953)作曲
歌劇『3つのオレンジへの恋』から行進曲Op.33 bis-3

数音で分かった。本曲にはハイフェッツが編曲した版があり、それのCDがあるから。
何故それが手元にあるか、と言えば3年前、当ホールで神尾真由子さんがご主人と
お二人でコンサートをされた。その時に弾かれて買った盤である。
とは言え管弦楽で生演奏を聴くのは初めて。冒頭のトランペットを始め、どうしてもこちらは
色彩豊かである。それでいてリズミカルで諧謔的である。
イタリアの劇作家ゴッツィの寓話劇をプロコフィエフが1919年にオペラ化した。
この行進曲は第2幕の間奏曲。ヴェデルニコフさんのプロコフィエフ愛が私にも通じたのか
素晴らしい演奏で思い切り拍手した。

付記:
PACの定期演奏会なので会うかな、と思っていたMさんがクララ=ジュミ・カンさんのCDを
売られていた。2枚ともベートーヴェンで、かなり迷ってヴァイオリン・ソナタ7番が収録された
盤を買った。サイン会をやる、という情報を頂いたのでクララさんには盤に一筆書いて頂いた。
ヴェデルニコフさんには色紙。「PAC 18 X 2019」と一筆なんてものではない立派なもの
であった。
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